深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

深い河/遠藤 周作〜それぞれの人生、人間の深い河の悲しみ〜

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《内容》

喪失感をそれぞれに抱え、インドへの旅をともにする人々。生と死、善と悪が共存する混沌とした世界で、生きるもののすべてを受け止め包み込み、母なる河ガンジスは流れていく。本当の愛。それぞれの信じる神。生きること、生かされていることの意味。読む者の心に深く問いかける、第35回毎日芸術賞受賞作。

人は皆、それぞれの辛さを背負い、生きる。
そのすべてを包み込み、母なる河は流れていく。

死生観、宗教観に問いかける名著

本当の愛、生きることの意味を問う、遠藤文学の集大成!

 

 宇多田ヒカルの「Deep River」のモチーフと聞いてずっと読んでみたいな、と思っていた作品。

 作品を読みすすめて知ったけど、「テレーズ・デスケルウ」の訳者さんだったんですね。

テレーズ・デスケルウ」の記事を読む。

 

 本作はそれぞれの思いを抱えた旅行者がインドのガンジス河に行く話。

 

それぞれの河

 

「日本人から見ると、お世辞にも清流とはいえません。ガンガーは黄色っぽいし、ジャムナー河は灰色だし、その水が混りあってミルク紅茶のような色になります。しかし、奇麗なことと聖なることとは、この国では違うんです。河は印度人には聖なんです。だから沐浴するんです」

 

 死んだ妻の生まれ変わりを探す磯辺自分の代わりに死んだ九官鳥を探しにきた沼田戦争で亡くなった友を弔いにきた木口、そして自己を見つめ”何か”を探しにきた美津子の4人がインド旅行を通して自らの人生を振り返ったり、自分を見つめ直すお話です。

 

 特に美津子とキリスト教の神父となった大津の物語が根本にある。無神論者で愛のない女である美津子と、不器用ながらイエスの導きによって愛を追求し続ける大津。美津子は大津の信仰が信じられず大津に突っかかる。

 

 大学時代は学友の煽りもあったが、大津を信仰から遠ざけようと誘惑し袖に振るなどひどい対応をするが、美津子は大津を追いかけてしまう。愛情でも欲情でもなく美津子は”愛”を知らないから、”愛”を信じる大津を否定せずにはいられない。

 

「本気の祈りじゃないわ。祈りの真似事よ」と彼女は自分で自分が恥ずかしくなって弁解した。「真似事の愛と同じように真似事の祈りをやるんだわ」

 

 ガンジス河には白い子犬の死骸やらすぐそこの火葬場で焼かれた死体の灰が流れている。しかし印度人はそれらにまったく無関心で体を洗い口を注ぎ祈っているのだ。美津子はあのキリスト教の神父となった大津が、ヒンズー教徒の服装で火葬場に死体を運んでいることを知る。しかし大津は改宗したのではなく自分は今でもキリスト教の神父なのだと言うのだった。

 

「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です」と、美津子の心の口調はいつの間にか祈りの調子に変わっている。

 

「その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。そのなかにわたくしも混じっています」

 

 大津の学友たちにもキリスト教徒たちにも誰にも理解されないまま、疎外されて生きていく様はまさにイエスのよう。人は信じるものを使って人を差別する。なぜならその差分が自己になるからだ。全てから弾かれても自らの信じるものを信じ続けた大津の生き方自体が救いであることは間違いない。

 誰にも人には言えない深い悲しみがある。