深夜図書

毎日23:30更新の書評ブログです。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ヘヴン/川上未映子~何を持って善とするか何を持って悪とするか、自分の言葉で伝えられますか~

≪内容≫

<わたしたちは仲間です>――十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。

 

川上未映子作品は「全て真夜中の恋人たち」以来。

この人の何だか不思議な世界観が好きです。

すっごい盛り上がる訳でもないんですが、静かに積もっていく様な感じがして。

だから読後テンション上がったりとか沈んだりとかもないんですが、じんわりと確かに残っているんです。

 

この小説の中の斜視でクラスのリーダー二ノ宮にいじめられているボク百瀬という共感能力ゼロの人間とコジマという夢想少女の間で迷い続けています。

 

ヘヴン≠天国

HEAVEN=天国 

天国=何も苦しみのない世界 

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と思っていたけど、コジマにとっては違う。

その恋人たちにはね、とてもつらいことがあったのよ。とても悲しいことがあったの、ものすごく。でもね、それをちゃんと乗り越えることが出来たふたりなんだよね。だからいまふたりは、ふたりにとって最高のしあわせのなかに住むことができているって、こういうわけなの。ふたりが乗り越えてたどりついた、なんでもないように見えるあの部屋がじつはヘヴンなの

 ケーキを食べるカップルの絵にコジマはヘヴンを見つけた。

 

試練を乗り越えた者だけが辿りつけるヘヴン。

コジマにとって「いじめ」はヘヴンに辿りつくための試練。

だから逃げだすことも屈することもしてはいけない。

 

そう君も。

君の斜視も試練のひとつ。

逃げてはいけない。

 

ヘヴンと名付けなくても人にはそれぞれ信じているものがある。

有名なのが宗教。ジンクス。占い。

 

彼女は加害者の女の子達もまた犠牲者だと考え始めます。

可哀相と感じ始めます。

彼女達が過ちに気付くために自分がいじめられている現実は意味があるのだと。

 

この思考回路はまさにユダヤ教が出来た経緯とそっくりではないか。

ヘヴンとは、実は古代から人が求めてきたものそのものなのではないか。

だとしたら、この小説は「いじめ」というテーマよりもっと深いものなのではないか。

 

 

人をモノにするいじめ

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・・・わたしたちがこのままさ、誰になにをされても誰にもなにも言わないで、このままずっと話さないで生きていくことができたら、いつかはほんとうの物に、なれますかね

     

         いつかはほんとうの物に、なれますかね

 

 こんなに悲しい言葉があるか。と思った。

そして的確に現実を突いていると思った。

 

人が人をいじめるという事は人が人を人と思わないから出来るということ。

この痛みも苦しみも感じない時が来たなら、ほんとうの物になれる。

傷付けられて傷付かない時が来るのかな・・・?

そういうコジマの悲痛さが伝わってきます。

 

余談だけどいじめをする奴はナルトとかスラムダンク知らないの?

いじめっ子って楽しみないの?と思う。

まぁ百瀬の様な超絶共感能力ない奴はマンガ読んでも感動したり感化されたりしないのかもしれないなぁ。

 

ナルトとスラムダンクはかなり名作だし2大影響力ある漫画だと思ってます。

                

 

ナルト読むといつだって自分の信じる自分でいようと思う。

そして強くて優しい人になりたいと思う。

 

スラムダンク読むと一生懸命がむしゃらに頑張ろうと思う。

初心者だとか下手だとかそういう言い訳を出来ない理由にするのはやめようと思う。

 

ナルトも花道も自分と向き合ってるから他者をどうこうしようというくだらない概念がない。

里の皆に認められたい、誰よりも上手くなりたい。

その為に誰かを蹴落とすんじゃなくてひたすら努力する。

 

人に構う暇あるなら自分と向き合いなよ。

社会じゃイケメンだとか勉強出来るとかそんなんじゃやっていけないよ。

イケメンがイケメンなのはサービス精神があるからだよ。

エリートがエリートなのは自分の事を知ってるからだよ。

 

心は見えないけど隠せないもんだし。

人は孤独なんだから団体行動で誤魔化したって世界は変わりませんからね。

 

近くの人間を「モノ」扱いしたって何も変わらない。

 

読書嫌いな二ノ宮くん

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小説って、基本的に人間の人生の色々について書かれてるんでしょ?でも俺にもおまえにもつくりものじゃない手持ちの人生がすでにあるっていうのに、そのうえでなんでわざわざよそからつくりものを持ってきていまさらそんなものをうわ乗せしなきゃならないんだ?

 

え?想像力ないの?

イマジンだよイマジン。

 

てか二ノ宮くんはいじめしてても楽しくないだろう。

何やっても楽しくないだろう。

 

これは可哀相ですな。

こんな事言われたら「こいつ可哀相な奴だな・・・」としか思えん。

 

手持ちの人生が何故生まれたのか。

自分が生きている世界はどうなっているのか。

相手を笑わせる為に悲しませない為にどうしたらいいか。

 

そういう気持ちを持てないなら健全な魂じゃないと思う。

この本読んで思ったけど読書家でいじめっ子っているの?

 

なぜ人間に芸術が必要なのか。

想像力が世界を変えるからだよ。

 

人が抱える悲しみも苦しみも喜びも嬉しさも絶対に100%他人とは解かりあえない。

だから想像するしかない。

想像が人を繋げるんだよ。

想像だけが孤独を和らげるんだよ。

 

読書で世界は変わるよ。

 

共感能力ゼロ人間、百瀬。

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「なぜいじめをするのか」というボクの問いに対して

自分がされたらいやなことからは、自分で身を守ればいいんじゃないか。単純なことじゃないか。ほんとはわかってるんだろうけどさ、「自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません」っていうのはあれ、インチキだよ。嘘に決まってるじゃないか、あんなの。ああいうのは自分でものを考えることも切りひらくこともできない、能力もちからもない程度の低いやつらの言いわけにすぎないんだよ。しっかりしてくれよ。

「君を殺すと言ったら?」というボクの問いに対して

でもとにかく、君にはそういったことができない。できないし、なにも殺すなんてぶっそうなこと言わなくても、人間サッカーでさえ、したくない。でも僕達はどういうわけか、殺さないまでも、人間サッカーはできてしまう。(省略)これはどちらがましとか良いとか悪いとかの程度の話をしてるんじゃないよ?ただ人には、できることとできないこと、したいこととしたくないことがあって、まぁ趣味があるってことなんだよ。

できることはできてしまうという、ただそれだけのシンプルな話だよ

 

人には、できることとできないこと、したいこととしたくないことがあって、まぁ趣味があるってことなんだよ。

 

 

あと、「してはいけないこと」というのがあるんだよ。

何故してはいけないのか。

それを決めるのは自分の中の理性や道徳だ。

確かに「自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません」というのは曖昧で何も規定がない。

じゃあ自分がされていやじゃないことはしてもいいのか。という事にもなる。

 

百瀬はサイコパスなのか

私はサイコパスとして書いてるんじゃないかと思います。

弁が立ち、悪意無き暴言。

だけど百瀬は正論言ってるなと思うこともあります。

注:イジメはダメです。

百瀬の言う「君が斜視だからいじめられているというのは違う」というのは真実であり、僕が逃げ続けてきた部分です。

「斜視」を理由にあきらめていた部分。

だって斜視だから。斜視だからしょうがない。

 

イジメられるのが斜視のせいだと思ってるならなんで斜視を治さないの?

コジマは不潔だといじめられているのならなぜお風呂に入らないの?

 

嫌なことや理不尽なことが降りかかった時行動しなければいけないのは自分です。

思い当たる理由があるならそこを治す。

ないなら探す。聞く。相談する。

 

逃げたって状況は変わらない。

 

人間である以上、物になれる時は絶対に来ない。

 

だからこそ力が必要だという百瀬。

じゃあ力とは?

クラスのヒエラルキーの頂点に立つこと?

暴力でクラスを支配すること?

顔面偏差値と勉強の出来とスポーツの出来の総合点?

 

百瀬のいう強さとは何なのか。

いじめられなければ強いのか。

人間サッカーが趣味になるような人間が強いのか。

 

強さとは何?

 

百瀬の様な人間に会った時、私は何も言えない気がします。

ボクと同じように「妹が同じ目に遭ってもいいのか」というと思う。

そして「妹と君は違う。妹はダメで君はいいんだ。」なんて言われたらどうやってこの人を止めればいいのか分からない。

 

百瀬のいう強さって究極ヒトラーポル・ポトみたいに虐殺出来るヤツが強いって事だと思います。

万人には出来ないことが出来る。

そして万人は逃げることしか出来ない・・・。

 

うー。

虐殺もいじめもダメだよ。

だけどそれを何とも思わない人間に何て言ったら止められるのか。

そこに共感があるから「自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません」で話が通じる。

 

百瀬には道徳とか恐怖心とか思いやりとか全然ない。

圧倒的「悪」である。

 

だけどそれを「イジメはダメだ!」「人を傷つけてはいけない!」という理由で止めるのは大多数の意見の押し付けに過ぎないという考えも出来る。

 

本書のテーマである「善と悪」これは一筋縄ではいかない。

悪いと分かってしている人と純粋に悪いと思わない人では思考回路が違う。

前者は根本で分かりあえても後者は平行線のまま。

 

何を持って善とするか

何を持って悪とするか

 

そう問いかけられている気がしてなりません。

人と会話するときに自分の気持ちを的確な言葉で表さなきゃ気持ちは伝わらない。

という事は自分の気持ちを自分で知っていなければならない。

 

それぞれのヘヴン。

あなたのヘヴンとはどこにある?

あなたは何にヘヴンを感じる?

 

 ボクが斜視を治して初めて見た世界はどんな世界だったのでしょうか。

コジマが「好きだ」と言った斜視を捨ててボクは一人で新しい世界に立つ。

 

彼にとってのヘヴンがコジマとの世界だったのか

斜視を治した新しい世界なのかは分かりません。

 

本書の題材は紛れもなく「イジメ」です。

でも問いかけているのは暗黙の了解である「善と悪」の基準とは何か。

それを自分の言葉で説明することを求められている気がしてなりません。

 

「イジメはダメだよ」⇒なぜ?

「虐殺はダメだよ」⇒なぜ?

 

ここに自分の道徳で話すことは意味がありません。

 

「相手が可哀相だから」⇒なぜ可哀相なの?

「非人道的だから」⇒じゃあ人道的とはなに?

 

当たり前を捨てて考えてみよう。

 

何を持って善とするか

何を持って悪とするか

 

そのきっかけをくれた本書です。

是非あなたも考えてみてください。

 

イジメも戦争も曖昧な道徳では変わりません。

そこに強固な意思があるから生まれるのだから強固な意思を持つことが必要なのです。