戦争博物館
私がこの旅行で見た一番美しいものはここにありました。
戦闘機
私の脳裏にはスカイ・クロラが浮かんできました。
操縦席
後ろから見た中の様子
※中には入れません。スマホだけグっといれました。
戦車
この美しい緑の中にこんなものがあるなんて。
雨の具合もあってなのかグチャグチャとした地面。
これは・・・まさか・・・・
5分後の世界の小田桐が歩いてた地面ではないか。
ちなみに野良犬が野放しで歩き回っています。
という事でこのグチャグチャした地面にフェイントのようにグチャグチャしたウンコが落ちています。
気をつけてください。犬はかなり近くまで来ますが襲っては来ません。
色んな展示があります。
ボランティアなのか説明をしているカンボジア人がいます。
残念ながら英語オンリーだと思われるので我々は聞き取れませんでした。
※ここでガイドをしてもらったらチップを渡すようです。
銃を構える少年兵
弾丸
こんなに大きいものなのか。
地雷撤去のマネキン
息が詰まる。
ここを見学していた時もこのブログを書いてる今も。
ROCKET BM13
USSR=ソビエト社会主義共和国連邦
ググったらカチューシャという兵器らしい。
戦争って本当に他国事じゃない。
勝つために他国から兵器を輸入する。
儲かるから兵器を作り続ける。
最初は純粋に自分達の国を守る為だった事が利益の為になっていく。
今度は利益の為に戦争を支援する。
自分達と直接関係ない事で胸を痛めて悲しむことを偽善という考えがある。
人によってはこういう歴史を知っても「へぇ~」で終わってしまう人もいれば
この出会いをきっかけに自分に何が出来るだろうと考える人もいて
ただ悲しむ人もいる。
ただ悲しい。
この悲しみが何になるかは分からない。必要なのかも分からない。
でもただ悲しい。
そう思う心に気付く。
私が世界で一番美しいと思うもの。
上手く言葉に出来ないんですが
この自然が全てを呑み込んでいく感じ。
たくさんの命を奪ってきた兵器を新たな生命が覆っていく。
良いことも悪いことも有無を言わさず呑み込んでいく。
無常というのかな。
人間が汚して壊して見捨てていった大地にも命は生まれる。
こんなに恐ろしい兵器にも命が生まれる。
アンコールワットの中で、塀を飲み込むように木の根が絡まっていたり
カンボジアでは自然が自然なんです。
帰国して都内で働いていると、もちろん自然はあるし緑もあるけど
「これは作られた自然なんだな」と感じました。
家の庭、畑という限られたスペースに都合がいいように植えられた緑。
いつも綺麗に伐採されている木々達。
人間の生きるスペースに決して踏み込まないように都合よいサイズにされた自然という感じなんです。
私達は「生きる意味」とか「何か成し遂げたい」とか「誰かの為に」とか「社会貢献」とか「これはイヤ」とか「楽して生きたい」とか「あいつには負けたくない」とか「いい会社に入る」とか「親孝行する」とかetc
生きることが当たり前になっちゃっているなと思うんです。
別に「昔は生きるのが大変だった」とか昔と比べているのではなくて
どこの時代に生きていようと、勝手に大前提として「生きる」を設定してるんだなと。
生きてると色んな事があります。
人それぞれ環境も違えば性格も違う。
中学生の時点で家族を背負う人もいれば40歳、50歳になっても親に背負ってもらう人もいる。
生きるって人と人との繋がりです。
自分一人じゃ生きていけない。
だからこそ「嫌われたくない」「良く思われたい」そういう思いが生まれる。
それも大切なこと。
だけど、もし大切なものが壊れちゃっても。
明日大好きな人から別れを告げられたとしても。
自然はいつも変わらずに在るから。
生きてるだけでいいじゃんね。
新しい世界観が生まれた瞬間でした。
カンボジアは建物が低く緑がたくさんあって、手を伸ばさなくても葉に触れるほど低い木がたくさんあって。
自然が身近にあるんです。
絶対にまた行きたいと思う。
自分で自分を縛って苦しくなった時。
身近に自然を感じられれば「なぁ~んだ、そんな事」と思えるんだって気付いた。
それだけで何か心が軽くなった気がしました。
次はアンコール国立博物館編を書いていきます!