深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

不思議の国のアリス/ルイス・キャロル~現実世界を殺伐としないために非現実がある~

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≪内容≫

ある昼下がり、アリスが土手で遊んでいるとチョッキを着た白ウサギが時計を取り出しながら、急ぎ足に通り過ぎ、生き垣の下の穴にぴょんと飛び込みました。アリスも続いて飛び込むと、そこは…。チェシャーネコ、三月ウサギ、帽子屋、ハートの女王など、一癖もふたくせもあるキャラクターたちが繰り広げる夢と幻想の国。ユーモア溢れる世界児童文学の傑作を、原文の言葉あそびの楽しさそのままに翻訳した、画期的新訳決定版。

 

こないだ親友と話していたら「私たちなんてトトロとともに生きてきたみたいなもんじゃない!」と言われました。

私は「いや、あたしアリスだわ。」と返しました。

 

 

本はほとんどアニメ映画の内容と違います。

あたしが脅えたほうき犬も出てこないし、悲しい牡蠣とセイウチの話も出てこない。

だけど、すっごい面白いので読んで欲しい。

ほんと大好き。

 

想像は何から生まれるか、なぜ必要か。

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アリスって想像力のかたまりだと思います。

だって、赤いバラは白いバラを赤いペンキで塗ったもので、三月ウサギはそのまっすぐで長い耳でちょきんっとポットから出る紅茶を斬っちゃう。

 

こういう発想に至るのって無知となぜ?から生まれると思うのですね。

 大人になる、というか知識が増えると、花には種や球根があって、それで色が決まることや、ウサギの耳がまっすぐで長いことは音を聞くのはもちろん、体温調整のためだということが分かります。

 そうなると「なぜ?」って思わないですよね。

「ああ、そうか。」でおわり。

 

 この奇妙奇天烈な話は小さいころすっごく謎であり、すっごく夢もあるけど、怖かったのです。まさに子供が世界に対して感じる感情ですよね。

 

ティーカップのカチャカチャいう音はヒツジの首についた鈴の音に変わり、女王様の耳ざわりな叫び声はヒツジ飼いの少年の声となりー赤ちゃんのくしゃみやグリフォンの甲高い声といったその他の不思議な音は(お姉さんにはわかっていました)、活気に満ちた農場にあふれるさまざまな音に変わってしまうのですーそして、遠くで牛のモーと鳴く声が、海ガメもどきの激しくすすり泣く声だったとわかるのです。

 

これはアリスの深層心理とか何かのメタファーとかそういうんじゃなくて、現実世界で聞こえてくる音に対して自分なりの「この音かしら?」という想像を当てはめたものなんじゃないかと思うのです。

 

引用文は目覚めたアリスから話を聞いたお姉さんの言葉なんですが、この文章を読んですごく納得したし、すごく切なくなりました。

 

こうしてお姉さんは、目を閉じたまますわり続け、今、不思議の国にいるんだとなかば信じていました。 でも、わかっていたのです。目を開けさえすれば、なにもかも、つまらない現実に変わってしまうということは。

 

 私が物語の中で、ファンタジーやSF、特にマジックリアリズムと呼ばれるものが好きなのは、現実を生きるためだと思っています。

 現実の世界で生きるのに必要なことの一つは、想像力だと思っています。

すっごい腹立つやつに会ったとき。現実的にイヤな人!っていうんじゃイライラが収まらない。

 

こいつ、人間のフリした狸だな。まだまだ人間界の暗黙の了解ってもんがわかってないな。しょうがない。狸ならしょうがない。・・・ふう。

 

という風に想像力で切り抜ける。(強引)

 

現実を生きるって割と希望がないと生きられないというか。どこかで諦念感からの楽観に転換しないと辛いというか。

だからアリスとか有頂天家族とかすごく好きです。

「有頂天家族」の記事を読む。

小説よりアニメが好きです。私は。小説も好きだけど。

 有頂天家族なんて親父を狸鍋にされちゃってます。だけどそれをした人間を恨んだり復讐したりするんじゃなくて、逃げてかわすんです。人間は狸を食べる、ということを改めさせる、人間も狸も仲良く生きていきましょうよ、ってんじゃなくて、諦めなんです。「人間は狸を食べるのね。」と一旦飲み込む。だけど、食べられたくはないから逃げる。

 

 現実を変えようというのは難しい。

それに現実が美しいことだってたくさんある。

どれだけファンタジーにハマっても現実世界じゃないから、そこは要注意ですけどね。

そこんとこは空知先生がわかりやすく説明してくれてました。

 

『銀魂』作者空知英秋の意外と結構深い発言まとめ - NAVER まとめ

 

  私は現実世界を殺伐としないために非現実があると思うので、非現実を前提に現実に持ち込むのはやさしくないですね。

  ハウツー本やビジネス書じゃない物語を読んで何になるのとか、何のためにとか、そういうこと言われたりすることもあるんですけど、頭がよくなるとか、知識を増やすとか、そういう言葉も結局のところ原点は人にやさしくなるためだと思うんですよ。

 「これ読んだら頭が良くなるよ」とか「たくさん読めば博識になれるよ」とかじゃなくて、たくさん読んだらそれだけいろんな人の頭の中を覗くことになって、その結果いろんなことを受け入れられるようになると思うんです。

それがやさしさの源だと思うんです。

私は本読んで何になるの、と言われたらやさしくなります、と答えたい。