≪内容≫
いつから私はひとりでいる時、こんなに眠るようになったのだろう―。植物状態の妻を持つ恋人との恋愛を続ける中で、最愛の親友しおりが死んだ。眠りはどんどん深く長くなり、うめられない淋しさが身にせまる。ぬけられない息苦しさを「夜」に投影し、生きて愛することのせつなさを、その歓びを描いた表題作「白河夜船」の他「夜と夜の旅人」「ある体験」の“眠り三部作”。定本決定版。
初めて吉本ばななさんの本を読んだ(多分)のですが、すっごく言葉が美しくってびっくりしました。
こんなに綺麗な表現が出来るんだ・・・!ってドキドキが止まりませんでした。
映画版感想記事↓
白河夜船
白河夜船・・・何が起きても気付かないほどぐっすり眠っていることのたとえ。
親友のしおりが自殺して、私はそのことを彼に言えずにいる。
働きもせず、彼と会うときだけ目が覚める。
彼には植物人間の妻がいて、そして眠ってばかりの私がいる。
赤ちゃんは寝ているときと起きているときの違いが分からないから、眠たいときにグズるらしい。意識がなくなるということは死んでしまうと思うらしい。
イヤなことから逃げることを許され、たまにしか会うことのない愛人生活を続けていた寺子と添い寝を仕事にしていたしおり。
現実から目をそむけ夢の中に逃げていた寺子は、不思議な人物と出会いバイトを薦められる。起きていてもたくさん寝ても眠くてとろけそうだけど寺子はバイトをしてみた。
そしてふと気付くのだ。
しかし私は、ほんの短い期間に自分の中のいろいろなことが、いつの間にかどれほど退化していたかを思い知った。
働くことなんていつだって大嫌いだし、アルバイトなんてもともとどうでもいいという気持ちには全然、変化はないけれど、そんなことではなくて・・・なにか、背すじのようなもの、いつでも次のことをはじめられるということ、希望や期待みたいなこと・・・うまく言えない。
でも、いつの間にか私が投げだしてしまっていたこと、自分でも気づかずに、しおりも投げだしてしまっていたことが、きっとそれだった。
この流れで愛人と決別し、新たな人生を前向きに歩む・・・!と思ったのですが、寺子は何も変わらず状態も何一つも変わっていないけど、このままでいたいと思うのでした。
この最後が私には衝撃・・・というか目から鱗でした。
私は変わりたい、変わらなきゃと思ったときってこのままでいたいって思う感覚がないんですよ。
だから初めてこういう考えもあるんだ・・・って思った。
彼女は実質何も変わっていないのですが、彼女の目に映る世界は美しく愛しさに溢れた世界になった。
「変わる」ってなにも人から見てどうとか自分で意図的に変わることじゃなくてもいんだって。小さな気付きやそれによって新しい考え方が生まれたり、少しだけ感覚が変わったり、そういう自分にしか気付かない小さな小さな変化だって、人から見たら波とも言えないような小さな波を乗り越えて生まれたんだって。
疲れ果ててボロボロになって眠るしかなくなって、眠り続けて、朝も昼も夜も分からなくなって。そうやって現実じゃなくても夢の底で自分と向き合い続けたら、ある日世界が新しく見えるようになる。
何が起きても気づきたくないくらい世界と遮断したいときは、眠ろう。
眠ることだって身体は痛くなるし頭はボーっとしたりガンガンしたり楽なことじゃない。
それでも再生の夜があることを忘れなければきっと大丈夫だと、そう思う。
夜と夜の旅人
兄の死によって時間が止まった妹と恋人の毬絵の話。
あの日、空港で恋に落ちてから、気づいたらもう、ここにいたってね。手元にはもうなにも残ってない、ただ前に進むだけの夜の底。
なにから手をつけていいか、少しずつわかりはじめている、でもなにもないの。
兄が死んでから一年間、夜に閉じ込められた二人。
恋のときめきから一転して夜の底に落ちた毬絵。
この文の全てがかなしみでいっぱい。
前に進むしかないほど死の瀬戸際に立つ毬絵。
なにかしなきゃって思うのに、その度になにもないことに気付かされる。
夜と夜の旅人ってどういう意味なのかなって思うのですが、いまいち掴み切れません。
光と影のような、未来と過去のような、毬絵とサラ(元彼女)のような。
悲しみを明るくしてしまうような、そういうことなのかな?とも思うのですが、この話はまた暫くしたら読みかえそうと思います。
夜を閉じ込めるように雪がどんどんと降り積もるけど、降り積もるほど雪は世界を明るくする。
夜に閉じこもることは暗闇だけじゃない。
閉じ込められたから見える光もきっとある。
ある体験
昔、一人の男を取り合っていた私と春。
そのうち三人で住むようになり、男が帰って来なくなった。そのときの二人はいがみ合っていたけど、きっと男より親密だった。
最近、夜に酔ってベッドに入ると心地いい歌が聞こえてくると彼氏に相談すると、それは死者が何か言いたいと思っているのはないか?と言われ、彼氏の知り合いの死んだ奴と話をさせてくれる奴のところに行くことに。
そしてそこで春と久しぶりに再会するのだった。
一番好きな話。
男が好きで誰にも渡したくなくて、身を引くことができなくて三人で住むっていうおかしなことになっちゃって。
だからもちろん女ふたりはケンカばっかり、人のあげ足とってばっかり、文句言ってばっかりなのに、実はケンカするほど仲が良い。
寂しいとき、そばにいたのは男じゃなくて、男を取り合っている女だった。
歌声はやはり自殺した春のもので、なぜかと聞くと分からないけど、あんたといた時が淋しくなかったから・・・と言う。
私は死んでしまった春と会ったことで、死よりも、人と人との埋められない距離よりも過去が遠いことを悟った。
私たちは"今"を生きていて、どんなに素晴らしい過去があろうとも愛した人がいてもそれはとても遠いものなのだ。
未来をどんなに恐れても、過去に思いを馳せても今しか感じられないもの。
後悔は残るし、傷は消えないけど、それでも生きていく。
この作品で一番美しいと思った表現。
また朝になってゼロになるまで、無限に映るこの夜景のにじむ感じがこんなにも美しいのを楽しんでいることができるなら、人の胸に必ずあるどうしようもない心残りはその彩りにすぎなくても、全然かまわない気がした。
なぜ夜景が美しいのか。
それは人の胸に必ずあるどうしようもない心残りが集まって、世界をぼやけさせるように輝いているからなのかもしれない。