≪内容≫
“我々はみなゴーゴリの〈外套〉から出てきたのだ”とドストエフスキイが言ったと伝えられる名作「外套」。
kindleで無料で読めます。
そこまで長い話でもないので、お手すきの際にぜひ読んで欲しい作品。
外套
ロシア、ペテルブルクにて。
外套とはコートのことです。厳冬のロシアでは必需品である外套。
タイトルであり、外套によって主人公・アカーキーの世界は変わります。
主人公のアカーキーは高い役職についていたわけではないが、真面目な役人だった。倹約家で、家に帰ってからも仕事と同じ清書をすることを楽しみにしていた。
一度買ったものを何度も手入れして使い、新しく買うということを避けて暮らしていた。
そんな中、ロシアに冬将軍がやってきた。
アカーキーは擦り切れた外套を着て役所に向かうが、あまりに寒いので仕立て屋に赴き、直してほしいと頼む。しかし、仕立て屋のペトローヴィチはあまりに擦り切れた外套を見て、「これは無理だ。新しいのを作るよ」と答える。
かくしてアカーキーの外套の物語が始まるのだった。
外套を買うにはお金が足りない。
外套を買うことに決めたアカーキー。
しかしお金がありません。彼は切り詰めた生活をするようになりました。
それは彼の心にある変化をもたらしました。
その代わり、未来の外套についてあれこれ際限もなく考えることで心を一杯にしたのです。そのときから、自分の存在そのものが、あたかもより満たされ、あたかも結婚したかのように、彼とともに別の人が隣にいるような、まるで一人ぼっちではないような、何か人生の女友だちが生涯彼と共に歩むことに同意したような気がするのでした。
それから彼は生き生きとして性格も強くなりました。
局長はなぜかアカーキーに40ではなく、60ルーブルの賞与を与えました。
思いがけない賞与と、節約生活が功を成して、彼は外套の生地にとても質のいいものをこだわって選びました。
そして出来上がった外套は素晴らしいものでした。
仲間から新しい外套のためのパーティに誘われたり、みんなに褒められたりして、何とも幸せな気持ちになりました。
何度も直しながら着ていた昔の外套はまるで布きれのようで、アカーキーは自分でも笑ってしまうほどでした。
あるパーティの帰りに追いはぎに会い、外套を奪われてしまいました。
そこは根源なく拡がる広場に道が飲み込まれている場所でした。
アカーキーはショックで次の日仕事を初めて休み、警察署に向かいました。
しかし、冷たく追い払われてしまい、その後高熱にうなされアカーキーは死んでしまいました。
アカーキー、幽霊になる
街にはアカーキーが化けてでるという噂が広まりました。
外套を求め歩いており、人から剥ぎとっていくのだと噂されていました。
「ああ!ほら、ついに現れたか!とうとうお前の首根っこを捕まえたぞ!お前の外套がわたしには要るのだ!わたしの外套のことでは一肌ぬがなかったな、おまけに叱りおって、さぁ、自分の外套を今すぐ寄こせ! 」
アカーキーが追いはぎにあったときに相談した高官でした。
彼は「誰にものを言っているんだ」とアカーキーに叱りつけ、追い返しました。
この外套を手にしたアカーキーは二度と化けてでてくることはありませんでした。
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さて、このお話でアカーキーの外套を奪ったのは、ヒゲをはやした連中で、アカーキーの頭ほどの拳骨を口元につきつけ「叫んでみろ!」と凄みました。
ロシアではヒゲは権威の象徴、人の頭ほどの拳骨は言葉の通り力の強さ、さらに凄みをきかすのは権力者が弱者に対する行いです。
アカーキーが化けて出なくなったあとも、この人の頭ほどの拳骨を持つ幽霊は発見されています。
この化け物は何なんだろう?
私はアカーキーのように剝ぎとられたものが、幽霊になり権力者の外套を奪う、その慣れの果ての集合体なのではないかと考えました。
作中に出てくる高官は鼻もちならない奴らで、自分の権力を見せつけるために意味のないパフォーマンスを繰り広げ、挙句の果てに、権力にひれ伏せさせることで威厳を会得するかの如く、助けを求める手を振り払います。
アカーキーは無欲に生きてきました。
しかし外套を手にすると決めた時点から、生き生きとしだし、強くなりました。外套を手に入れてからはさらに幸せを感じるようになりました。
しかし、それを無残にも奪っていくのです。
弱い一般市民は、たった一着の外套さえ持ってはいけないのか。
それさえ奪われなくてはいけないのか。
奪われてなお、たらい回しにされ、叱られ、死に逝く運命なのか。
奪われたものは、幽霊となり奪う。
生きている内は敵わないからだ。
アカーキーは一応役所人だ。
どんなに慎ましく暮らしていても、派手な外套を身に付けてしまえば、それだけで鼻もちならない役所人だと思われたかもしれない。
外套を手にしたアカーキーは自信も身に付けていた。
それがいつしか権力という暴力に変わる日が来ていたのかもしれない。
ドストエフスキーの言っている意味が、どこにかかっているのかは分かりませんが、これもまた好きな本の一冊になりました。
今はまだ一辺倒な考えしか浮かばないけれど、きっともっと色んな面から見れる作品なんだろうなぁ・・・と思います。