深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

「美人」へのレッスン/齋藤 薫~美人で天真爛漫だと最強ですよね~

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≪内容≫

これまで誰も言わなかった「美人」になる秘訣、教えます。どんな女も意識を変えれば自分の中から美しさが湧き出てくる!「キレイになれない」と思い込んでいる人へ教えたいコスメもメイクも要らない美容法。

 

本書は「美人とはそもそも誰のことなのか?」「美しさはどう人生を変えるのか?」が書かれています。

よく、美人は得だと言われますが、美人と美人じゃない人の境目ってどこなんでしょうね。

これも、昔買った本なので買った当時に求めていた情報と今の自分が欲しい情報が全然違うんだろうなぁ~・・・てしみじみ思いました。

 

美人は三日で飽きる?

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美人は、いつどこでどんな時に何してる時も、同じ顔。

くずれる兆しさえ見せないから、いわゆる"表情のない顔"に見えてしまう。言いがかりは言いがかりなのだが、あまりの表情の乏しさは、人をまったく裏切らないから、さすがにこちらも飽きてくる。 

 

バラが何故美しいのか、それは棘があるからだ。

的なことをどっかで読んだ(見た)のですが、人ってただ美しいものには惹かれないんですよね。

すっごく分かるな~と思います。

人に好かれる人って、どこか読めない部分やミステリアスな部分なりギャップなりがあって、相手を無意識にドキドキさせてしまっていると思います。

 

世間的に言われる「いつもニコニコしている子」「どんな時も明るくて笑顔が素敵な子」って一瞬を切り取ったものでしかないと思う。

私たちの日常っていう連続の時間の中でいつもニコニコしていて、どんな時も明るくて笑顔が素敵な子って怖くないですか?

 

飽きるっていうか「この人何にも考えてないんだろうな」と思って、相手にしなくなると思う。

いわゆる美人な人って美人に囚われていることが多いように感じます。

もちろん、他者は勝手に美人に理想を押し付けます。

そこから外れれば「美人なのにね」「がっかりしたよ」みたいな言葉を投げ付けられて生きてきた人もいると思います。

そのせいか、自分のイイ角度なり、イイ表情を知っているんですよね。

後、人に受ける言葉や態度が自分で分かっているから、美人でありながら美人を演じているみたいな感じ・・・というか。

 

最初はいい・・・というか、第一印象は限りなく良いし、相手から興味を持たれるのもダントツだと思いますが、時間が経つにつれてその興味はどんどん薄れてしまうものです。

型通りの美人は鑑賞には最適ですが、一緒に生きるとなるとぶつかり合いが出来ないように感じられるのかもしれません。

 

美人かつ天真爛漫だと最強ですね。

ローラとかが近いかなぁ。

美人でありながらコケティッシュな感じだと可愛いも合わさって最強な気がします。

美人で愛嬌があると凡人はどうしようもないと思っているので、美人は一定数はお人形さんでいてほしい・・・と切に思います。

 

結局、人。

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「最近、スポーツを見ると、すぐ泣けてくる」という男性がいた。勝者とか敗者に感情移入して泣いてしまうのかと思ったら、そうではなくて、彼らがそのカゲでどれほど辛い練習を重ねてきたのかということが、いつもダブって見えてきてしまうから泣けてくるんだと言った。

 

結局、人。

人の全身全霊ぶりに感動するということなのだ。

彼ももういい歳だが、「歳とって涙もろくなったんじゃなくて、そういう人のすごさがようやく見えてきたってことなんだ」と言った。

 

 スポーツもそうなんですけど、全く見ていないドラマの途中のシーンとかでも泣けてきちゃうことがあります。

実家に帰るといつも朝ドラを見てるんですが、「ひよっこ」の、主人公の女の子が上京してきて工場のラインに配属されるんですが上手くいかなくて落ち込むところが丁度その日の場面でした。

 

私は自分のことに関しては結構理詰めで物事を考える質だと思っているんですが、ことスポーツとかドラマやアニメという他人事になると、ぶわーーーっと色んな感情が湧きあがってしまうようです。

 

これってやっぱり人が好きだからなんだろうなぁ・・・と思っています。

自分のことはそんなに好きじゃないけど、他人は愛したいし、人間は好き。

だから人の努力にすこぶる弱い。

 

人を美しく思うのって、その人が美人だからではなくて、その人の努力なりを美しく思うと思っています。

なぜイケメンや美女と対面すると緊張してしまうのか。

私は、イケメンや美女は努力が一番見えやすいからだと思っています。

サラサラキューティクルの髪の毛、毛穴ひとつない肌、計算されたヘアスタイル、ワックスで決めた無造作なヘアにキレイに剃られているひげ、イケメンも美女も自分に何が似合うのか、理想の為にどれだけ努力したのかっていうのが外見に出るから、その努力や情熱に圧倒されて緊張してしまう・・・と考えています。

 

大人になれば、普通に生きてたら美人になれないことは分かります。

外に出れば日に焼けるし、髪を染めなくてもケアしなければ生きてるだけで傷んでいくし、無造作ヘアは計算し尽くした結果だし、ひげも生えるし、女性だって色んな毛生えるし。

何にもしなきゃキレイになれないことがわかる。

 

だから大人になって分かるのは「そういう人のすごさがようやく見えてきたってことなんだ」ってことで、当たり前でも生まれ持ったものでもズルでも何でもなくって、努力の結果なんだということです。

 

キレイって一番分かりやすい努力なんだと思います。

人ってなんかしらその人なりに努力しているように思います。

なんかしら悩んだり、足踏みしたりして生きてる。

 

キレイになるって卑屈にならずに努力を続けられることだと思う。

キレイだけじゃなくて、何事も努力した先が大事なんじゃなくて、努力しようと思い行動することが、結果他人からは美しく見えるのだと思う。

 

本当の幸せ

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"幸せ"の本当の意味を知らないことは、やっぱり女を美しくは見せないのだとこの時思った。"幸せじゃないこと"がないと、"幸せ"だって見えないこと。 

 

 むやみやたらに「ハッピー!!!」「いつも楽しい♪」「私って幸せ者☆」みたいな人がいて、人の悩みも「でもさ!もっとポジティブに考えないとだめだよ!」「なんでそんなに暗いの~!もっと明るくなろうよ!」みたいに無理にハッピーエンドにしようとする、ハピエン至上主義みたいな人がいます。

 

けど岡本太郎は言います。

 

たとえ、自分がうまくいって幸福だと思っていても、世の中にはひどい苦労をしている人がいっぱいいる。この地球上には辛いことばかりじゃないか。難民問題にしてもそうだし、飢えや、差別や、また自分がこれこそ正しいと思うことを認められない苦しみ、その他、言い出したらキリがない。

深く考えたら、人類全体の痛みをちょっとでも感じとる想像力があったら、幸福ということはありえない。

 

だから、自分は幸福だなんてヤニさがっているのはとてもいやしいことなんだ。

 

たとえ、自分自身の家が仕事がうまくいって、家族全員が健康に恵まれて、とても幸せだと思っていても、一軒置いた隣の家では血を流すような苦しみを味わっているかもしれない。

そういうことにはいっさい目をつぶって問題にしないで、自分のところだけ波風が立たなければそれでいい、そんなエゴイストにならなければ、いわゆる"しあわせ"ではあり得ない。 

 

「自分の中に毒を持て」の記事を読む。

幸せって絶対正義ではないし、善でも何でもないんですよね。

"幸せじゃないこと"つまり影に当たる人や物事を無視して"幸せ"を語るのは不可能なのに、それをしたがるのはどう見ても美人には見えない。

 

なんかこの本読んでたら美人って本当にいるの?って思えてきました。笑

生まれ持って美しい顔立ち、かつ荒れない肌を持ち、感性が豊かで、思慮深い・・・なんて人間いるんでしょうか。

かなり限られた狭き門な気がしてきました。

すっごい苺のショートケーキ食べたくなったな・・・。(深夜)