≪内容≫
名作『象工場のハッピーエンド』の復刊。
長い間、絶版になっていた単行本を、読者の声にこたえて復刊する。安西水丸の明るく楽しいイラストと、村上春樹がそこから喚起された文章で、ある世界を構築する
久しぶりにお酒を飲みました。
私は酔うと寝るか笑うなので、家についてこの本が無性に読みたくなり手に取ってクスクスと笑い寝ました。
絵本ちっくな見た目なんですが、ほろ酔い気分で読むと最高に気持ち良いです。お酒に合う本ってあるんだなって思いました。
鏡の中の夕焼け
昨年の春、街の広場でバザールが開かれ、そこで私は妻と言葉がしゃべれる犬を交換したのだ。
私と取引相手のどちらが得をしたのか、私にはよくわからない。
私は誰にもまして妻を愛していたけれど、言葉がしゃべれる犬は何にもまして珍しい存在であるからだ。
この手の「は?」と思える話が大好きです。
しかも酔っ払ってるときなど特にニコニコしながら読めます。
この主人、犬がしゃべりすぎて腹が立ち、来年のバザールでハープを弾けるカモシカと交換してやろう等と思います。
シラフの時だと、この話が何を言いたいのか・・・とか真剣に考えちゃうんですが酔っ払ってると「ふんふん、ふーん、ふふ」くらいで楽しくなっちゃいますね。
ちなみに今は酔っていません。
題名「鏡の中の夕焼け」の話はこのしゃべる犬が母親から聞かされた古い言い伝えで、森のどこかに水晶でできた小さな丸い池があり、その表面は鏡のようにつるりとしていて、いつも夕焼けが映っているというのです。
そしてそれを目にした人はみんなそこに入りこんでしまいたくなり、入りこんでしまった人たちは永遠にその夕焼けの世界を彷徨う・・・という話です。
夕焼けって大好きです。
朝やけより夕焼けの方がおどろおどろしくていい。
夕焼けが美しいのは、その後に闇が控えているからだと思うんですよ。
美しいものは恐怖も秘めていて、逆に恐怖を秘めていない美しさは「ただの美しさ」から踏み出すことは出来ず、人に訴える力はない。
美しさの裏に闇なり棘なり、恐怖を秘めているものこそ猛烈に惹かれる。
自然が美しいのは、そこに得体のしれない恐怖を感じるから。
一瞬の美しさに永遠を見る者は、永遠に閉じ込められる。
マイ・ネーム・イズ・アーチャー
「みんなはカリフォルニアには四季の変化がないっていうけど、そんなことはない」とある小説の中で彼は書いている。
「不注意な人間がその変化に気づかないだけなのだ」と。
僕はロス・マクドナルドの死を心から悼む。
ロス・マクドナルドについて書かれています。
読んでみたくなりました、ロス・マクドナルド。
四季の変化というと、日本は意識しなくても4つの四季と、更に細かく梅雨とか初夏とか残暑とか初秋とか色々な名称があって、言葉があるぶん感覚が鈍ってしまうことはないのかな?と思います。
そうは思うのですが、大体季節というか「最近は暑くなってきたね」とか「梅雨に逆戻りしたのかしら」とか「雨が降りそうな空だね」とか「お、ついさっきまで雨が降ってたんだな、そんな匂いがする」とかそういう会話をしているので、なんだか気候に敏感な国民だという意識があります。
五感というのは、人それぞれ一応それなりに機能してはいるのですが、正しいものはないのだと思っています。
音楽で言うとタイム感と言うし、私は人の考え方や生活様式をリズムと捉えています。
正しいものはなくて、それが鋭いか否か。
象工場
いずれにせよ、僕はその工場をー象を作り出す僕の工場をー愛することになるだろう。耳作り部門で働いているほっそりとした女の子に恋をして、彩色部にいる羽根つき帽子をかぶったきざな男とはりあい、牙入れ部門で働いているおじいさんの忠告をあおぐことになるだろう。
/「あとがきにかえて」より
なんかすごい具体的な空想だし、面白い。ありそうだし。
村上さんが何故こんなに象を作りたいのかは謎ですが、具体的な空想は好きです。
ちなみにこの象工場は短編・「小人」に出てきます。
この象工場では色んなあれこれがあっても、すべてはハッピーエンドに終わるはずだ、と書かれています。
ハッピーエンドを感じさせるのが象なのかな?
私たちも象工場に代わる何かをそれぞれの胸の内に持っているのかも。
なんだろうな・・・。
もしかしたらそれがものすごく冷たくて、苦しいものなのかもしれないし、自分が持っているなんて思えないような温かいものかもしれないし、全然想像もつかないけれど、何かがありそうな気だけはすごく強く感じます。謎
人の創ったものってそういうものが自分にもあるはず!と強く思わせてくれて、その何かが生きることをあきらめないようにしてくれている気がしてなりません。
私は私のことさえ何にも分かっていない気がしてなりません。