≪内容≫
現代の奇妙な空間―都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人…、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。
色んな人が村上春樹に話したことを、村上春樹が文章にしたもの・・・らしい。
村上さんがそういう面白い話を惹きつけるのか、面白い話を持っている人間を惹きつけるのか、こんな面白い話を持っている人間に一人でも会えたら珍しいんじゃないかと思ってしまいました。
今まで村上春樹の作品は村上さんの脳内で出来たもの、もしくは事実に脚色を付け加えたものだと勝手に解釈していましたが、この本を読んだらみんな不思議な体験しているのね・・・と唸ってしまいました。
レーダーホーゼン
「それでもしーもし、さっきの話から半ズボンの部分を抜きにして、一人の女性が旅先で自立を獲得するというだけの話だったとしたら、君はお母さんが君を捨てたことを許せただろうか?」
「駄目ね」と彼女は即座に答えた。「この話のポイントは半ズボンにあるのよ」
「僕もそう思う」と僕は言った。
昔、家族に対して献身的だった母が一人でドイツに旅行に出かけた。
母の妹がその当時ドイツに住んでいて遊びに行ったのだ。父は仕事の都合で行けなかったのでレーダーホーゼンをおみやげに頼んだ。
母はドイツ人ならここで買うというお店にわざわざ足を運びレーダーホーゼンを買いに行く。
そして帰国後、母は父も娘の私も捨てたのだった。
ざっくり言うとこんなお話です。
そのレーダーホーゼン職人は職人なので、本人が来店したところで本人に合わせて作るというスタイルを徹底していたので、レーダーホーゼンをおみやげとして持ちかえるためには母は夫に似た身長や体系のドイツ人に頼んで夫の代わりをしてもらわなければならなかった。
そして一人旅行も含め、代わりのドイツ人が試着したりサイズ合わせをしているのを見ている内に母の中で忘れられていた色んな感覚が蘇ってきた。
私が思ったのは、母というのは"個"を忘れがちなんじゃないか、ということでした。
犠牲精神というか一体精神というか、子供も夫も自分も全て一緒に考えて、トータル家族という風に見ているのではないか、ということです。
子供や夫は学校に行ったり仕事に行くので個人として社会なり学校に馴染まなければいけないわけですが、母というのは個よりも母という個体として生きているような気がするのです。
なので、夫の代わりのドイツ人を通して、初めて客観的に、個人的に、夫を見ることが出来たのだと思います。
一緒の家で生活している内は知らない間に自分と家族との境が曖昧になってしまっていたのではないか・・・と。
母も個人。
一人の人間。
おかあちゃんだけど、おかあちゃんなんだからとは言いたくないな、とやっと30歳を手前にしておかあちゃんを労わる気持ちが芽生えてきた私です。
母と家がもうセットになるくらい混ざり合っているんですよね・・・。
同じ女でも、母という責任を持った女は同じ女ではない何かになっている気がする。
今は亡き王女のための
大事に育てあげられ、その結果とりかえしのつかなくなるまでスポイルされた美しい少女の常として、彼女は他人の気持を傷つけることが天才的に上手かった。
(中略)
今にして思えば彼女はそのように習慣的に他人を傷つけることによって、自分自身をもまた同様に傷つけていたのだろうという気がする。そしてそうする以外に自分を制御する方法が見つからなかったのだろう。
だから誰かが、彼女よりずっと強い立場にいる誰かが、彼女の体のどこかを要領よく切り開いて、そのエゴを放出してやれば、彼女もずっと楽になったはずなのだ。彼女もやはり救いを求めていたはずなのだ。
そんな天下無敵な少女が大人になって傷つき変わってしまったと、彼女の夫から聞いた話。
「スポイルされる」とは損なわれる、という意味合いで、まあ大人が子供を台無しにする的な意味らしいです。
傷つくって大事な経験なんですよね。
これほんとうに思う。
大体「うちの子は絶対悪くないんです」「私は自分の子供の言葉を信じていますから」とか言う親の子供って子供には好かれていないですからね。
嫌煙しています、メンドクサイし、本人が甘ったれですぐ泣くか暴君だから。
子供を守っているようで孤独にさせています、こういう親は。
たまに誰かに否定されたいときってないですか?
特に不安なとき。
「いや~それはどうだろう?ちょっと考え直したら?」という言葉が欲しいとき。自分でも何か間違っているような気がするけど、その何かが分からないから誰かにヒントを与えてもらいたいとき。
そういうときの否定って救いになるんですよね。
「だよね?やっぱりそう思う?でもどうしてそう思うんだろう?」ってこういう会話に行けずに成長するっていうのは考えるだけで恐ろしいな、と思ってしまいます。
本書の紹介分に「この中にあなたに似た人はいませんか。」と書かれているのですが、読んだところいませんでした。
私には今のところ奇天烈な出来事はありませんし、そんな人にも出会ったことがありません。
嘔吐が40日続いたり、人の家を覗くことに熱中したり、売春で得たお金を三年定期にしたりするようなことは。
ただ一つだけ、自分の考えと全く同じ言葉が出てきました。
「誰かに嘘をつくのは本当は好きじゃないんだ」と彼は別れぎわに言った。
「その嘘が誰一人傷つけないとわかっていても、嘘はつきたくない。そんな風に誰かをだましたり利用しながら残りの人生を生きていきたくはないんだ」
/プールサイド
無力感の本質は「我々はどこにも行けない」ということ。