≪内容≫
標高3,193mを誇る北岳の警備派出所に着任した、南アルプス山岳救助隊の星野夏実は、救助犬メイと過酷な任務に明け暮れていた。苦楽を分かち合う仲間にすら吐露できない、深い心の疵に悩みながら―。やがて、登山ルートの周りで不可解な出来事が続けざまに起こりはじめた…。招かれざるひとりの登山者に迫る危機に気づいた夏実は、荒れ狂う嵐の中、メイとともに救助に向かった!
犬ってかわいいなぁと思いました。
たぶん犬好きな人はすっごく思うところあるんだろうなぁ~と感じた一冊でした。
もし私が犬好きなら感動で倍以上泣いていたかもしれません。
山岳救助犬
ボーダーコリーのメイと共感覚を持っている夏実のペアが主人公です。
メイは写真のボーダーコリーに茶色が入っているようです。
こうやってみると可愛いんですよ、写真とは映像は大好きです。
特に大型犬のハスキーとか可愛いし・・・、ボーダーコリーは小さい頃映画で見た気がする。ベイブだった気がする。可愛かった。賢いし。
共感覚はこんな世界らしいです。
文字や音に色が見える【共感覚の世界】 - NAVER まとめ
人から「変なヤツ」とか「変わってるね」とか「なにそれ全然分からんない」みたいなこと言われると地味に傷付いていたときがあったなぁと思います。
そんな些細なことで傷付くんだから、分かり合えないっていうのは想像以上の孤独を生み出すと思います。
共感覚を持っている夏実は孤独でした。
人の死や無念や憎悪が色として見えてしまう。
その苦しみを共有してくれる相棒がメイでした。
メイと夏実の絆や、山の神々しさ、命について描かれています。
「たとえどんなにえらい政治家でも、十三歳の少年の命よりも大事なプライバシーなんてナンセンスです。われわれは警察官である以上に、山を愛する人間じゃないですか。人の命を救うことが、ここでは何よりも優先されるべきだし、その職務こそがわれわれの誇りでもあります」
私は地元の20分くらいで登れる山しか登ったことがありません。だけど山に魅了される人が多いことは知っています。
時に山から帰ってこない人だっています。
それでも、登る。
自然とはとても恐ろしいものです、ものすごく美しいけれど、ものすごく恐れ多いもの。
本書は山と3,11の地震について描かれています。
福島の被害が多かった地区に派遣された夏実とメイが見つけることが出来たのは死者ばかりでした。
誰かを助けたくて、救助するためにきたのに、夏実が感じる色もメイが感じる匂いも生きているものがないのです。
その苦しみは経験していない私の精一杯の想像の何千倍も何億倍も苦しいものだろうな、と思いました。
生きていてくれて、ありがとう
ー頑張れ!
あの三・一一以後、国じゅうが繰り返してきた声援の言葉がどれだけむなしかったことか。
つかの間、被災地を見てきただけでも、夏実はそう思った。
地震に津波、そして原発事故。あれだけの被害を受けて、家族を失い、家を失い、友を失い、生活を失った人々にとって、どうあってもガンバルことなどできないのだ。ただ、無力感にとらわれて、魂を失ったかのように呆然と海を見つめるしかない。
表面ばかりが美しい勇ましい言葉に、いったい何の意味があるのか。
まるで呪文のようにメディアが繰り返す語句に、彼女は嫌悪すら感じていた。
頑張ろうって頑張れるときなら有効ですが、どうしたって頑張れないよってときには酷な言葉になりますよね・・・。
私はボランティアとか行けませんでした。
自衛隊とか、夏実たちのような救助隊がいるはずだし、私が行ったところで・・・って気持ちがありました。
でも行こうと思って行くことだって出来ました。
行かなかったのは怖かったからです。
見たくなかった、見たら自分の世界が壊れちゃうんじゃないかと思った。
頑張って欲しいなんて、自分が頑張れない人間を見ることが怖いってだけなんじゃないかって思いました。
そういう人達を励ます力も、受け止める力もないから、自分で立ち直ってもらうしかなくて、そういう人間を応援することだけは出来るから。
何でもそうですけど、批判したり文句言ったり、口だけって簡単なんですよね。
自分の身体を動かして"何かをする"ってことが一番難しいわけです。
助けるとか、困っている人と同じ目線に立つとか、励ますとか、話を聞くとか、すっごい難しいことだと思うんですよ。
だけど死んでしまったら、そういうことさえ出来ない。
健康な人を基準にしたら、傷付いている人をケアするのは難しいことに思うけど、死んでしまったらそれまでです。
生きているから頑張れるし、生きているから救助出来る。
生きてこそ。
生きてこそ、です。
生きている
人よりも早く死を迎える犬が、どうしてこんなに幸せそうに短い生をまっとうしているのか。命の美しさ、生きている歓びを全身で表現するように走り、躍動するのだろうか。
その真実に気づいたときに、夏実の脳裡にひとつの言葉が浮かんだのだった。
犬と一緒に生きていくとこういう感情が芽生えるのかなぁ?と思いました。
犬に限らず動物と暮らすということは、大体の場合が看取ることになるじゃないですか。
私はその悲しみばかり考えていたのですが、命をまっとうするということを悲しみと思ってはいけませんね。
生きているとほんとうに小さなことがたくさんありすぎて、シンプルな考え方を貫くのはとても難しいと思います。
だけど本当は生きているってだけで、いいんですよね。
色んなことを求めすぎて、だから上手くいかないってことが生まれるのかなって。
あれになりたい、こういうものがほしい、こんな人と出会いたい・・・とか。
なんか煩悩にまみれてるな・・・。
人は想像する力があって、思考することも理性もあるから、歳を重ねるごとにどんどんどんどん色んなものにまみれてしまう気がする。
まみれたくなくても、まみれている気はなくても。
もしかしたらそういうものをそぎ落とす力が山にはあるのかもしれない。
山に限らず自然にはあるのかもしれない。
なんか思いっきり自然の中に行きたくなってきました。
でも山に登るって大変なことですよね。遭難したら辛いのは自分だけど、自分だけじゃなくて心配する人が誰かしら居るだろうし、仕事でやっている救助隊の人だって心配するだろうし、救助だって楽じゃないんだし。
人の顔色をうかがうとか、そういうことじゃなくって、それが確固たる意志なら思うがままにやればいいけど、軽率な気持ちではしてはいけないことなんだと思いました。