≪内容≫
村上春樹が選んで訳した世界のラブ・ストーリー+書き下ろし短編小説。
本作には9作品と、村上春樹氏による「恋するザムザ」の計10編が収録されている。
私はその中から一番恋愛要素が薄く、一番心に残った一作品を紹介しようと思います。
テレサ
アンジェロはときどき自分が二人の人間であるような気がする。それというのも、彼は大きいからだ。十四歳で、身長が百九十センチ、体重が百二十七キロある。だから自分が一人の十四歳の少年ではなく、二人ぶんだと考えた方がいいみたいに思える。
学校にいるあいだ、そのほとんどの時間、彼は自分をもてあましている。どうやってじっと座っていればいいのか、これが自分だと自分で考える人間をどうやって身体に収めておけばいいのか。
(中略)
彼はどこかに隠れてしまいたいと思う。
よその場所に逃げて行って、本来別々であるべき(と彼が思う)二人の自分を分割してしまいたいと思う。
そしてとんまな方を捨て去り、利発な方だけを持ち帰って、みんなをびっくりさせたいと思う。
アンジェロ・・・主人公の十四歳の男の子。イタリア系。たくさん食べる、ビールをガブ飲みする。
テレサ・・・誰とも親しくないように見えるクラスメイトの女の子。メキシコ系とアンジェロは仮定する。授業ではいつも正しい答えを口にする。
アンジェロにとってテレサはよく分からない存在であった。
授業中先生に指されると、一分くらい黙りこくってしまい、泣きだしそうな顔をしているのに、親しい友人がいなくても平気な顔をしているのだ。
テレサは繊細そうに見えるが、逆に強そうにも見える。
アンジェロはある日、学校帰りにテレサの後をつけていくことを決めた。
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という、アンジェロがテレサをつけていく話です。
なので、二人が会話する描写や心を通わすシーンはありません。
それが、他の作品とは一風違ったところです。
アンジェロは本当の自分が何なのか分からずにいます。
十四歳というのは多かれ少なかれ誰でもそういう自意識の中にいると思います。
しかし、人より大きな体のために、周りが自分の道を決めようとしたり見た目で判断したりしてきます。
そのため、彼は「いったいどこの誰がおれをこんな身体に押し込んだんだ!?」と吐き出しています。
彼の言う二人の人間とは、理想と現実であり、正義と悪といったような二元論の世界のことだと思います。
記憶を遡って一所懸命に思い出した私の14歳の記憶では、このときの対人評価というのは目に見えている姿がそのままその人になっていた気がします。
簡単に言えば不良=悪い子、優等生=いい子、という図式です。
そこから外れる子はほとんどいなかった(当時の私には気付けなかった)。
不良だけど、優しいところもあるよね!と言っても不良=悪い子の評価は変わらない。固定観念がとても強かった時な気がします。
こういう流れの中で生きるってなると、自分もどこかのカテゴライズに属さないといけないような気になるのです。
つまり、自分の中に正義と悪を両方入れておけないのです。
どちらかに振り切らなければならない。振り切ることで、中途半端という甘えから抜け出し、不良もしくは優等生の地位を手に入れる。
実際は、不良や優等生という極端なものではないですが、私は私!というものを持ちたがる年だった気がします。
そんな二元論の流れの中で、両方を抱えているテレサに心惹かれるアンジェロ。
たぶんテレサなら、アンジェロがなぜ自分の体をもてあまさなければならないのかという理由を知っていると思ったんじゃないでしょうか。
しかし、テレサを追っていくとどんどん自分が持っていたテレサへの固定観念が破壊されていきます。
そのことでアンジェロは苦しみます。
ですが、最後の最後にアンジェロが得たものは新しい道でした。
アンジェロとテレサが恋仲になった描写はないのですが、これはラブストーリーなんですね。そしてこういうラブストーリーが私は大好きなのです。
言葉を交わしたり関わりあうだけが恋ではないと思うのです。
その人に出会い、自分の苦しみに目を向け、そこから違う道を見つけることが出来たら、それが恋人という形にならなくても一生忘れられない恋になるでしょう。
本当は皆そういうものを求めているんじゃないのかなぁと思うのですが、いかがなものでしょうか?
人が二元論で語れないという本質に気付いたのなんてつい最近、一週間くらいまえのことです。気付いたというか、そういう矛盾を許せないで生きていたんですが、そうやって生きてこれたのは周りが優しかったからなんだと気付きました。
矛盾して生きていくしかない世界なのだと、今は深く思います。