≪内容≫
『Love Letter』の岩井俊二が『スワロウテイル』との間に、人気シンガーCHARAをヒロインに撮った自主映画的アナーキーなメルヘン。妹を殺したココは、入院させられた精神病院で、ツムジとサトルという2人の青年と知り合う。 彼らは施設の塀の上を歩く探険を楽しんでいた。やがて、地球が滅亡するという妄想にとらわれた彼らは、滅亡を見届けるために、塀の外に出てはいけないという規則を守りながら、塀から塀へとつたって海を目指してピクニックに出かける。
これは・・・いい!
72分のショートムービーもいいんですが、何よりcharaと浅野さんが良すぎて現実世界忘れそう。
滅亡に焦がれて
別に単独で誰かの死を願ったり、自分の死を望んだりするんじゃなくて、世界が終っちゃえばいいのにな、って思ったことありませんか。
たとえば誰かを殺したら、相手は死ぬけど自分の人生は続く。自分が死ねば自分はこの世界からリタイア出来る。だけど世界は続いて行く。
別に一人でリタイアするのが寂しいから世界の滅亡を願うんじゃなくて、自分の手を汚したくないからいっそ全部消えちゃえばいいって思うんじゃなくて、どうしたらいいのか分からないから願うんだと思う。
浅野さん演じるツムジは、自分をいじめていた先生を刺し殺したらしい。そしてその先生は幻影として現れ、ツムジに何度も語りかける。ツムジは神に祈るけど救われない。そんなとき、聖書の中に地球滅亡という救いを見つける。
対してchara演じるココは、双子の妹を殺し精神を病んでいるとして精神病棟に閉じ込められた。ココはツムジのように妹におびえることもなく、ただただ世界に反抗していた。
個性的なココに惹かれたサトルを連れて三人は精神病棟を抜け出し、塀の上を歩いて地球の最後を見届けに行く。これがピクニック。
彼らは常に塀の上を歩く。これはたぶん境界線を意味してるんだと思います。
塀の右側と左側、あちらとこちら、正常と異常、その境目。
白と黒。
ココが持ってるバスケット。
真っ黒なココの背中を飾るカラスの羽根。
一見悪魔に見えますが、途中に出てくる神父さんは黒い天使と言います。
そしてツムジは天使ではなく、人間です。罪深き人間。
ココは祈っても懺悔しても救われないと嘆くツムジの罪を背負って死にます。これもうこれですねえ・・・。
思うのだけど、罪を憎んで人を憎まず、とか言うけどさ、人を憎むことが自分を守ることだってある。もちろん、人を憎むことが自分を追いつめるなら罪だけを抽出した方がいいのかもしれないけどさ。
そういうのってケースバイケースだから、判を押したように「憎むのは良くない」「死ねと言っちゃいけない」とか言って全ての人を聖人に駆り立てるんじゃないよ。
憎しみとか負の感情ってきちんと心のバロメーターの役割を担っているのだと思います。↑こんなことされても、この女医の話題なんて一切ツムジとココの間には出ません。見えてないのです、たぶん。ある意味で、地に足がついていないというか。
地に足つけろ、しかし、憎しみは捨てろ、は難しい。
っていうか煩悩を捨てろとか、欲を捨てろとか、そうなったら死ぬだけだから。だからなんかすっごい切ない物語でした。
抱えながら生きていくしかないこともある、どんなに理不尽だろうが不条理だろうが。そんな時は憎んだっていいじゃんって思う。まずは憎しみっていう形にしなければ、変容することだってできないんだから。
岩井監督・・・・好きだわぁ。