冬の終わりのその朝、1人の少年が死んだ。トーマ・ヴェルナー。そして、ユーリに残された1通の手紙。「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音」。信仰の暗い淵でもがくユーリ、父とユーリへの想いを秘めるオスカー、トーマに生き写しの転入生エーリク……。透明な季節を過ごすギムナジウムの少年たちに投げかけられた愛と試練と恩籠。今もなお光彩を放ち続ける萩尾望都初期の大傑作。
正直一回読んだだけでは薄く「なんか・・・すごいの読んじゃったな」位にしか思えず、個々の苦悩や悲痛も伝わってくるけれど、表面をなぞっただけの様な空っぽな感じで。
それがイヤで、なんとかこの少年達の心に触れたくてずっと考えていました。
そして、森博嗣さんの「トーマの心臓Lost heart for Thoma 」を読み、「悲しみの天使」を観てからもう一度この「トーマの心臓」を読んだらボロボロと泣けてしまいました。
「トーマの心臓Lost heart for Thoma」の記事を読む。
一回目では主人公ユーリの絶望のシーンや、ユーリの背中にうっすら見える翼や、トーマの心臓という意味も「?」となることが多かったのですが、「トーマの心臓Lost heart for Thoma 」のオスカー視点からの表現で大分理解出来ました。
そして、日本では全くなじみのないこの舞台は「悲しみの天使」を観たことによって大分入りやすくなりました。
萩尾望都さんの作品って台詞のひとつひとつや一コマにすごい情報量が入ってるので、読み手も心して読まないとあっという間に置いていかれてしまうような気になるんですが私だけでしょうか?
※ここから例にも漏れず全くの独断と偏見で語っていきますので、あ~こうゆう風に思う人もいるんだなぁ~と生温い目でお付き合いください。
寄宿舎という世界の中で
女子校とか男子校とかそういう学校に通っていた人ならば違う意見もあるかもしれないが、私は幼稚園からずっと共学だった為全くこの世界観については分り兼ねる。
しかもここはカトリック系という事で宗教も絡んでいる。ますます分らん。
私がまず思ったのは、生徒達は皆天使だということ。
そして、天使役とは別の役を誰かが誰かに与えているということ。
ユーリにとって、オスカーはキリストであり
オスカー、エーリクにとってユーリは聖母であり
ユーリにとってトーマは女神であり
ユーリにとってユーリはユダだった。
そして生徒は皆天使だから翼を持っているということ。
そして裏切り者のユダであるユーリだけが翼を持っていないということ。
その事に酷く絶望しているユーリ。
■何故ユーリは翼を引きちぎられたのか
黒髪の南国の血を引くユーリはドイツ人の祖母から忌み嫌われていた。その為よりよいドイツ人に、完璧な人間になろうと努力する。あるイースターの休みの日に高等部の四年生であるサイフリートに誘われお茶会に参加することにしたユーリ。
しかし、サイフリートは素行不良であまりいい噂は聞かない。それでもユーリの忌み嫌われていた黒髪を「すてきな黒髪だ」と言ってくれた。
行ってはいけないとわかっていたが、心惹かれてしまったユーリは行ってしまう。そしてこのことはユーリの神への信仰を暴力ではぎとったのだ。
ユーリは誰よりも愛されたいと思っていたと思う。
その為に、誰よりも「よりよい良い子でよりよいドイツ人」であろうとした。それなのに、神に背く者に心惹かれた自分を許せなかったんだと思う。
サイフリートに脅されて屈伏した自分よりも、残酷な匂いを放つ悪魔の誘いに乗ってしまった自分を許せなかったんだろうと思う。
ユーリは引きちぎられたと言っていたけど後に「自分で捨てていたんだ」と独白している。
ここから「トーマの心臓」の台詞から抜粋して、それぞれのキャラクターを紹介したいと思います。
■ユーリ(ユリスモール)
その手をひっこめろ ユリスモール・バイハン!いったいどういうわけだ?そうもやさしく髪にふれて
同情か?かわいそう?ではさきほどのキスはなんだ?あれも同情か?
そのおぞましい自分の手をひっこめろユーリ!
そしてすぐ立って部屋を出ていけ
いったいおまえには自分に人が愛せると思ってるのか?
悪魔にその身を売ったくせにーーーーー
もう天使の羽もないくせにーーーーー
ユリスモール
人を愛する資格がおまえにあるのか?ユリスモール!
「トーマの心臓」より
■トーマ(トーマ・ヴェルナー)
ユリスモール
ユリスモール
少しでもぼくを好き?
ユリスモール それではきみはーーー誰も愛していないの?
でもそれで生きていけるの?
これからもずっと・・・?
「トーマの心臓」より
■オスカー
そうだよ ぼくのカード
ぼくのジョーカー
でもぼくの望んだことはーーーー
気付いてくれることだったんだ きみでも彼でも
ぼくが愛してるってことに
ぼくは待っていた それだけ
「トーマの心臓より」
■エーリク
・・・・ぼくの翼じゃだめ?
もしぼくに翼があるんならぼくの翼じゃだめ?
ぼく片羽きみにあげる・・・
両羽だっていい きみにあげる ぼくはいらない
「トーマの心臓」より
前言撤回
きみがいってしまうんなら翼どころか髪の毛一本だってやんない やんない
「トーマの心臓」より
主に主要人物な4人。
ユーリには父がいない。
オスカーは両親がいない。
エーリクは最愛の母を失う。
トーマは普通の家庭でありながら孤独を抱えていた。
自らの運命に苦しむユーリ、オスカー、エーリク。
トーマは亡くなっているので描写が少なく分かりませんが、父に
どうして神様はそんなさびしいものに人間をおつくりになったの?ひとりでは生きていけないように
と質問している所からさびしさを感じている事が分ります。
トーマが皆から愛されていたというのも、トーマの中に強烈な孤独感があったからだと思うのです。
人は孤独を知らない人を心から好きにはなれないと私は思っています。
そして孤独を知る人はもちろん、その孤独に気付かない人や、向き合わない人にとっても、孤独を秘めてる人間には惹かれてしまうのです。
これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音とは
トーマがユーリにあてた遺書。
そして表題でもある「心臓」の意味。
トーマはずっとユーリを見ていた。という事はサイフリート事件の概要を知らずともユーリが心を閉ざした事は見てわかったはず。
そしてこのような詩を残している。
ぼくは、ほぼ半年のあいだずっと考え続けていた
ぼくの生と死と それからひとりの友人について
(省略)
今、彼は死んでいるも同然だ
そして彼を生かすために
ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない
人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち
友人に忘れ去られることの死
それなら永遠に
ぼくには二度めの死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に
「今、彼は死んでいるのも同然だ」という部分ですが、ここは森博嗣さんの方でよく分かります。本書では、ユーリに対して「冷たい手」「つめたい さえざえとしている」
という表現になっていますが、これはユーリの心が死んでいるとの表現だと私は思っています。
そして、トーマの心臓とはユーリの翼のこと。
トーマは
「そして彼を生かすために
ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない」
と詩っています。ここって
「そして彼を生かすために
ぼくは自分が死ぬのなんか なんとも思わない」
で良くないですか?自殺の意味が自己の死と引き換えの意味なら。
「打ちくずれる」と言葉の意味。
うちくずす【打ち崩す・打崩す】( 動サ五[四] )
打って相手の備えなどを崩す。特に野球で,安打を続けて,相手チームの投手を降板させる。 「エースを-・す」②形・考え・雰囲気などをこわす。 「既成の概念を-・す」[可能] うちくずせる
(コトバンクより)
トーマは自分の死を持ってユーリを生かそうとしたのではなくて
自分のからだが壊れても心の部分(心臓=翼)は君の中で永遠に生きる。
だから君は一人ではないよと伝えたかったのではないかと。
トーマはサイフリート事件を知らないので、何故ユーリが心を閉ざしているのか分からない。だから翼うんぬんは知らないので心臓を差し出したのだと思うのです。
でも、ユーリは心臓=死という事で死を持って縛り付けたと思ってしまう。
何故表題が「トーマの心臓」なんだろう?心臓なんてほぼ出てきてないんですけど?と思ってた私ですが、もしトーマが事件を知っていたら「トーマの翼」になっていたかも?と思う私。
実際、エーリクに「翼をあげる」と言われて初めてトーマの真意に気付いたユーリ。
エーリクと出会い、徐々に鼓動を打つようになったユーリの心臓。心臓=翼なので、図書館でのユーリに翼が見えたのだと思うのです。
トーマはユーリが自分のことを愛してることに気付いていたのでしょう。
もちろん、トーマもユーリを愛していたから。
だからこそ、彼を生かすのは自分の愛だと信じていた。
そしてその愛を彼が受け入れてくれることも。
だから
それなら永遠に
ぼくには二度めの死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に
と信じて自己の死を遂げた・・・。
愛しているといった その時から
彼はいっさいを許していたのだと
彼がぼくの罪を知っていたかいなかが問題ではなく
ただいっさいを何があろうと許していたのだと
ユリスモール
前編ではユダである自分を許せず苦悩するユーリが最後で神からも愛されていること、そして自分の罪を知るオスカーも知らずに亡くなったトーマも自分を許していたことに気付いたことで晴れ晴れとした顔になっている。
オスカーもエーリクもユーリを愛していた。
けれどユーリを生かしたのはトーマの心臓。
ユーリの心臓は一度死んで、トーマの心臓によって生き返ったのだ。
オスカーが言うようにトーマはユーリを捕まえた。
でも実際にはユーリがトーマの愛に気付いたというのが近いかなぁ?と思ってます。
トーマはユーリを自分のモノにしたかったのではなくて、ユーリの中の「愛する者を愛する」という素直な感情を取り戻したかったと思っているので。
それで、エーリクを選ぼうがオスカーを選ぼうが花嫁と結婚しようがトーマにとっては、ユーリが愛を感じて生きているという事実だけで満足だったと思う。
まさに無償の愛。アムール。
すごく素敵な美しいお話でした。
文庫本1冊ですけどね、読むのに2時間、これ書くのに5時間位かかってます。笑
次は「トーマの心臓 Lost heart for Thoma 」の方の感想あげたいと思っています。こっちもすごく素敵でね、私やっぱり森博嗣さんの表現好きだわーと思いながら読んでました。
最初の「朝は好きじゃない」から始まった時点でね、好き!と思いました。
4人以外にもね、アンテっていうキャラクターが出てくるんですけど人間くさくてね~好きです。飾らずに、時に卑怯に、でも純粋に自分の気持ちをぶつけてくる。
嫉妬も嫉みも隠さない。私自身はオスカーのように待つ派なので、アンテやエーリクの様にずいずい来るタイプに憧れます。
次は11月のギナジウムとか読みたいと思っています!
長々とありがとうございました!