≪内容≫
イングマール・ベルイマン監督の代表作をDVD化。老医師の1日を通し、人間の老いや死、家族をテーマに描く。家政婦とふたりきりの日々を送る医師・イーサクは、奇妙な夢から醒めたある日、車で旅に出るが、先々で不思議な出来事が待っていた…。
これちょっとクリスマスキャロル蘇る。
人は老いたとき、何かが見えるのかもしれません。
死ぬ準備と旧約聖書
人付き合いとは、そこにいない人の悪口を言うことだ。
そう語る老教授イサクは故に孤独な老後を過ごしている。妻はすでに他界しており、家政婦と犬と生活を共にしている。
別に友を持たないことと嫌われることはイコールではない。
しかしイサクは自らが嫌われていることを自覚している。息子の妻・マリアンヌとの会話も刺々しい。
イサクは父でありながら個人であった。息子は息子だが、一人の人間として見ている。マリアンからしたら家族の情というものが感じられないエゴイストにしか見えない。
イサクは年老いていく現実の中で過去の記憶の中にもぐりこんでいく。
当時の恋人であるサーラと弟のアブラハムが出てくる。
イサクが見た幻なので、彼らは当時の若い姿のまま。サラが摘んでいるのは野いちごで、アブラハムはサラを誘惑しにやってくる。
イサクとサラはすでに婚約中の身であった。
サーラはイサクとアブラハムの間で揺れる。
彼女は言う。「イサクは立派すぎて、自分がつまらない人間に思えてくる」と。
しかしこうも言うのだ。「ときどき彼がとても年下に思えてくる」と。
もはや過ぎ去った過去のワンシーンなのでイサクには何も出来ない。ただ彼女の涙をじっと見ていただけだった。
しかしいつまでも思い出に浸っているわけにはいかない。幼年の頃に育った家の土地主の娘がやってきて、イサクは彼女達を車に乗せる事にする。
彼らはたぶんイサクとサーラとアブラハムの現代版です。
聖職者のアンデシュと医者のヴィクトル。その間で揺れる現代のサーラ。
そして途中で衝突事故が起き、ある夫婦も同乗することになるのだが、夫は妻を蔑みまくる。後に乗った三人は眉を潜めその光景を見ている。
夫は妻は芝居が上手いという。
それは、彼女が二年も癌の症状を訴えていたが検査結果が正常だったというところからきているらしい。
彼女の不安な二年間の心情は検査結果のみで演技とされてしまったわけです。この夫婦は恐らく、イサクと亡くなった妻の現代版なのでしょう。
耐えきれなくなったマリアンによって二人は車外に出される。二人の会話にぐったりと疲れたイサクは車の中で眠ってしまう。
そしてまたあの若き日のサーラが蘇る。
サーラはイサクをいじめる。しかし、それはイサクのせいなのだと告げる。本作はイサクの過去やイサクの心理描写は全く出てこない。彼の周りの人間が彼をどう評価しているのかが、老い先迫ったイサクに降りかかり続ける。
そんなイサクの子供は人生に何の希望も持つことが出来ずに大人になっていました。実はマリアンは妊娠していたのです。
しかし、夫は自分が憎み合う両親の望まれない子供であったことから、子供を持つことに大反対。何かを背負うことができないでいるのです。
イサクは名誉医学博士号を貰えるほど社会的には優秀な人間でした。
しかし彼は身近な人間に全く愛されていないどころか、自分の子供に愛を与えることさえしていなかったのです。
彼はここまでの道のりで起きた様々な夢や幻想、出会った少女たちや夫婦の姿に特別な何かを感じ始めます。
ラストではやさしさや思いやりを持つことが出来て良かったね、みたいな感じなんですけど、個人的にはイサク凄すぎるな、と思います。
名誉医学博士号に加えて人格者にもなったら出来すぎくん過ぎて怖いよ・・・と思うんですけど、もう老人なので失った時間の大きさからすればそうでもないんですかね?
何かを成し遂げるって犠牲の上にしか成り立たないと思ってるので、あれもこれもオールオッケーなんて人間がいる方が恐ろしいと思うのですが。
あんまりイサクが嫌なヤツに思えなくて困った。
旧約聖書でイサクはサラとアブラハムの子供で、聖人の意。
映画の最後はイサクのほほ笑みで終わっています。
タイトル「野いちご」はプレゼントの意なのだと思います。幸せの象徴のような。