深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

罪と罰/ドストエフスキー~人を一人殺せば人殺しだが、数千人殺せば英雄である~

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≪内容≫

鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。

 

前回工藤さんの訳で読んで読みやすかったので、今回も工藤さん訳の新潮で読んでみた。

「戦争と平和」の記事を読む。

ていうか、ドストエフスキー偏見でめっちゃ難しいだろーと思ってたらエンターテイメント小説みたいに読みやすかったー!!

 

映画版感想記事↓

www.xxxkazarea.com

 

 

一人の死と数千人の死

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人を一人殺せば人殺しだが、数千人殺せば英雄である」というのは、なるほど。いかにも納得の文言だと私は思う。

 

本書の主人公ラスコーリニコフは言う。

 

いっさいを許される支配者というやつは、ツーロンを焼きはらったり、パリで大虐殺をしたり、エジプトに大軍を置き忘れたり、モスクワ遠征で五十万の人々を浪費したり、ヴィルナ(訳注 現在リトアニア共和国の主都)でしゃれをとばしてごまかしたり、やることがちがうんだ。それで、死ねば、銅像をたてられる、-つまり、すべてが許されているのだ。 

 

あらすじにあるように、ラスコーリニコフは≪鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生である。彼は考えた。世の中には二通りの人間がいると。それは支配する側とされる側、許される側と許されざる側。彼にはお金という物的財産はなかったが、鋭敏な頭脳という知的財産があった。

 

しかし彼の鋭敏な頭脳という知的財産は貧しさによって踏み潰されようとしていた。

彼は考えた。強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと。

 

人を一人殺せば人殺しだが、数千人殺せば英雄である

という文言。

なぜ数千人殺せば英雄なのか。

それは、その数千人の死によってその何倍もの人々に幸せが降り注いだからだと私は思う。

数千人の死で想像するのは戦争です。しかもラスコーリニコフの言葉を借りれば≪エジプトに大軍を置き忘れたり、モスクワ遠征で五十万の人々を浪費したり≫という戦闘で死んだのではなく、環境や境遇によって失われた命もある。

 

しかし、それらの真実は支配される側である一般市民には明かされない。

彼らはいわば与えられた世界だけを見て生きているのであって、実際の戦場での地獄を見たわけではない。しかし、英雄をつくるのは一般市民なのである。

 

なぜ、老婆を殺したのか。

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強欲非道な高利貸といえど人間である。

しかもラスコーリニコフはお世話にもなっているわけです。

私が思うのは、彼は本当に老婆を憎んでいたのか?ということでした。

 

なぜ、「人を一人殺せば人殺し」なのでしょうか。

それは、ほとんどの人間が殺された人間を知らないか、他人、深く関わりを持っていないからではないのかと私は思います。

だから、客観的に物事を見れる。人を殺したのだから人殺しという単純な考えです。

 

しかし、その殺された人間が多くの人間の恨みや憎しみ、痛み、苦しみなどの発生源だったとしたらどうでしょうか。

その人が死ぬことにより多くの人間が苦しみから解放されるなら、それは「数千人殺せば英雄である」と同じ効果をもたらすのではないでしょうか。

逆に言えば、その人物によって苦しめられていた人間が多ければ多いほど、たった一人を殺した人殺しは英雄に近づく。

 

あらすじにあるように、ラスコーリニコフが罪の意識に苛まれるのは、老婆殺害ではなく、老婆の義妹を殺してしまったことに起因しているのです。

 

それはなぜか。

ただ単にラスコーリニコフが老婆を憎んで、老婆の義妹を憎んでいなかったからではない。世間が老婆を憎んで、老婆の義妹を愛していたからなのではないかと思う。

 

世間を苦しみから解放する人間は英雄だが、世間から愛すべき人間を奪う人間は認められない。

彼の許される側と許されざる側という思想において、彼は常に許される側であったし、あるべき行動をとっていたにも関わらず、ただ一つの過ちが彼の全てを奪おうとしていた。

  

金と知恵では生きれない

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老婆を殺して金を奪った。

彼の持つ問題は金で解決できるはずだったし、その金でたくさんの善行を行い、その行いによってたくさんの人を幸せにするはずだった。

 

しかし彼は金を得て、知的財産を失おうとしている。

許される側から許されざる側への転落。

 

そんな彼を支えたのはソーニャという女性でした。

彼女は極貧の家庭に生まれ、家族を養うために自分を犠牲にして働く健気な少女です。

ラスコーリニコフは彼女に罪を告白し、彼女の存在によって社会に戻っていくのです。

 

もしもソーニャがいなければ、ラスコーリニコフにとってこの世界はすべて流刑地に変わり、永遠の流浪の民となっていただろうと思う。

 

 

金だけあっても愛されなかった老婆。

優れた頭脳を持て余すしかなかったラスコーリニコフ。

劣悪な環境でも人々を愛し、祈り続けたソーニャ。

 

愛があれば何でもできる。

なんてことは言わないけれど、愛がなければ枯れていくだけだということはなんとなくわかる。

「愛はパワーだよ!」とはドラマ「to Heart 〜恋して死にたい〜」のフカキョンの有名すぎるセリフだが、私は女の子のこういうところが結構好きなのである。自分が男だったら「愛はパワーだよ!」と言われたら「はぁ?」って言い返しながら「なんかこいつといたら幸せになりそうな気がする・・・」って思いそう。

to Heart ~恋して死にたい~ DVD-BOX

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 愛っていう形のないものを信じる力って、生きてく強さと直結してる気がするんですよね・・・。男女関係なく、そういう力を持っている人って家庭環境に関わらず強いエネルギーを持っている気がする。