≪内容≫
ポン・ジュノ監督による本格サスペンス。ソウル近郊の農村で若い女性の死体が発見される。その後も同じ手口の事件が起こり、地元の刑事とソウル市警から派遣されたエリート刑事が捜査に当たるが…。
これが実際に起きた未解決事件っていうんだから、そこからして胸糞悪いのですが、韓国映画って魅せ方が上手いなーと思うのです。というか構成?なのかな。フラグ立てが上手いというか、分かりやすいというか。
コクソンもそうだけど、韓国の田舎の村で起きる事件のえげつなさよ。
直感と理性で犯人は捕まえられるのか
ソウル近郊の農村で若い女性が何者かに両手両足を拘束され、口にストッキング、もしくは靴下などの履物を詰め込まれ、頭にはパンティをかぶせられて殺されるという異常事件が多発。
地元警察は事件解決に勤しむが事件は止まらず、ソウルからやってきたエリート刑事も捜査に加わることとなるも、女性は次々と殺されていくのであった。
地元の刑事は「目を見れば犯人か分かる」と自分の能力を信じており、その目で妖しいと睨んだ人間を犯人に仕立て上げていく。
対するソウルからきたエリート刑事は、書類は絶対に嘘をつかない、という信念の元理論的に事件を追っていく。直感と理性。この二人の対立がまさにドラマという感じ。実際の刑事がどうだったのかは分かりませんが、キャラクターとしてかなり分かりやすい設定だと思います。
村人の中でグァンホという左頬のやけどの跡がある知的障害を持った男を怪しんだ地元刑事は台詞を覚えさせ彼に言わせることで、犯人確保としようと目論む。
このグァンホが重要なキーパーソンなのである。
彼は殺人事件の目撃者であり犯人を見ている。そして、彼が負った火傷の理由。それは映画の中では書かれていませんが、グァンホは色んなことを見てきたのだと思います。だけど、それを知的障害を持っているということで、誰も相手にしなかったのではないでしょうか。
さらには事件に使われたものと同じ白い下着を事件現場に持って行き、そこで自慰行為にふける村人が捕まる。彼は性的な雑誌より実際に村で起きている事件を想像したほうが刺激的だと言う。
村で事件が起きて、警察も見回っているというのに村の女たちはどこか他人事だ。ある女は夫を迎えに行く途中に襲われている。二人の学生は二人だから大丈夫、と言い、警察の車に乗れるなんて!と状況に浮かれていた。
農村に限らず、どんな事件でも自分には降りかかるはずはない、と自分は事件外に置いちゃうんですよね。しかも学生っていうまだ若く人間の怖さを体感していない時代には。
これは開始30分付近に流れる民間防衛本部からの放送内容で、訓練空襲警報なんです。政府は国民を守るためにこういった訓練を行っているのですが、全ての電気を消し地下の避難所に行け、と命令する中で犯行が行われたのです。
被害者は助けを呼びたくても地上には誰もいない。
外に明りは一切なく、犯人を照らすものはなにもなかった。
さらに、書類は嘘をつかないと信じて疑わなかったエリート刑事は、自分の確信を書類によって裏切られ
自分の目を信じていた地元刑事は、容疑者の目を見ながら自信喪失。
二人とも被害者のことより自分の信念との戦いに敗れた・・・って感じでした。エリート刑事は憎しみに支配されて銃を乱発。地元刑事の暴行を非難していたのに、犯人と確定していない男を殴りまくる。
怒っていいのはお前らじゃなくて被害者と被害者の家族だろうが、と思う。何をもってしてキレてるのか。キレたいのは惰性な捜査で何人もの被害者が出た村人だし、更には犯人捕まってないし、勝手に自信喪失して勝手にキレてんじゃねーよ!!!と思ってしまいました。
警察だって人の子だから感情を無くせっていうんじゃないです。でも、警察と一般人では与えられたものが違うわけじゃないですか。だったらその違う分は一般人と違ってしかるべきと思うのです。そこを感情で有耶無耶にしてしまったら何のための特権になるのでしょうか。
グァンホは犯人の写真を見せられたとき、自分の幼いときの記憶について語り出します。結局、グァンホが火傷を負ったときに犯人の確保が出来ていればこの事件は起きなかったんじゃないのか?と思う。
結局、知的障害という弱い立場のグァンホは汽車から守れず、狡猾な犯人は汽車に轢かれず逃がすという皮肉。
韓国の映画って地味に自国のやり方の批判っぽいというか、ものすっごい遠回りした皮肉って感じに見えるときがある。
話がそれまくってしまいましたが、物語としてならかなりいいと思います。フラグ回収が見事だしキャラ立ちもいい。(韓国ってキャラ設定うまいな、と思う)ただ、実際に起きた事件と思うとやり切れない気持ちでいっぱいになる。こういうのは物語であってほしかった・・・。