≪内容≫
ヒュー・ジャックマン主演、ジェイク・ギレンホールら共演によるクライムサスペンス。工務店を営むケラーの娘が友だちと出掛けたまま行方不明に。警察はある青年を拘束するも2日後に釈放され、ケラーは自らの手で娘の居場所を聞き出そうとするが…。
これは宗教的な映画です。
一般的なミステリーやサスペンスと別方向に行くのはそのためで、謎が膨らむのもそのためだと思います。こういう話を見ると宗教を懸念する気持ちが加速しますが、そこのところは、次の記事「特捜部Q」のアサドがフォローしてくれます!
ってことは、こういう事件は意外と珍しくないのかな?とも思ってしまいますが・・・(コワイ)
人はみな囚われの存在?
物語は敬虔なクリスチャンであるケラーの娘とその友達が誘拐されたことから始まる。明らかに怪しい男を捕まえるが証拠不十分で釈放という警察のやり方に納得のいかないケラーは自ら男を監禁し拷問にかける。
その神をも恐れぬ行為に、同じく娘を探している友人夫婦はケラーを止めようとするが、ケラーは一刻も早く娘を助けるために手段は択ばないという心境になっていた。
一方、ロキ刑事は怪しいというだけで犯人を断定することはもちろんしない。着実に証拠を集めようとするが、なかなか情報はなく時間だけが過ぎていった。
ケラーが怪しい男を監禁していることを察してはいるが、犯人を見つけられない自分の無力さをケラーに突きつけられるため、ケラーを止めることができない。
一体何が起きているのか。娘はどこに消えたのか。
ただ時間だけが過ぎる中、娘と一緒に消えた少女が発見された。ケラーは疲れ切った少女にどこにいたのかと尋ねる。
すると、彼女は「あなたもいた。」と答えるのだった。
ケラーは一瞬、不可解な感情を抱くがその答えの意味を知り、犯人の元へと駆け付ける。そして少し遅れてロキ刑事も現場へと到着するのだが・・・。
以下ネタバレします!
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犯人は息子を失ったことで信仰を捨てた夫婦でした。しかし、夫はすでに他界していたため、今回の二人の少女を誘拐したのは残された妻の単独犯行でした。
彼らは神が自分たちの息子を救わなかったことから、子供たちを消し去り、残された親を悪魔のように(まさに今回のケラー)仕立て上げ、神への対抗勢力を量産することを目的としていました。
- 神に囚われている人→犯人
- 職業に囚われている人→ロキ刑事
- 固定概念に囚われている人→ケラー
という感じで、誰もが「囚人」であるのですね。「囚」というのはくにがまえに人が入っています。つまり、人は人であると認識する場面では(対社会とか)常に囚人であるかもしれません。
ロキ刑事がこの事件にコミットしたのは、職業であり個人的なものではないですしね。
神を信じるがゆえに娘を奪われたケラーは、これもまた宗教的でアブラハムの信仰心を試すために息子を生贄にと命じた話を思い出しますね・・・。
それでもまだあんたは神を信じられるの?と犯人は問いたいのではないでしょうか?
多くの人が信仰しているけれど、本当に自分の身に起きたら、それでも神を信じ続けられるのか?信じ続けられなかった自分たちは間違っていないはず・・・と。
この話の別の視点は「特捜部Q Pからのメッセージ」が分かりやすいと思います。自分の迷いや苦しみを誰にも言えず、神様にだけしか言えないのなら、その神様が自分の一番大切なものを救えなかったときの悲しみは究極の憎しみへと変わるのかもしれません。