≪内容≫
未解決事件を扱う特捜部Qに、また新たな捜査の依頼がやってきた。
海辺を散歩していた町人がボトルの中に「助けて」と書かれた手紙を見つけ、Qに送ってきたのだ。手紙はどうやら7~8年前に書かれたもので、インクが滲み殆ど読めない。唯一の手がかりは差出人の頭文字“P"。Qのチーム達は手紙を解読しながら該当する行方不明者を割り出していくが、そこには驚愕の事件が隠されていた…。
大好き特捜部Qシリーズ。
映画第一弾↓
第二弾↓
このシリーズの面白みは、宗教を信じない主人公・カールと、信仰心のあるアサドで、まったく性格が違うんです。カールは正義感があり熱い男ですが、自分に理解できないものに対しては眉をひそめてしまう。でも、アサドは包容力があり、やさしさがあります。理解できないものも「そういうこともあるんだな」と受け入れる力です。
特に本作は二人の宗教観に関してのシーンもあり、見所がいつも以上に多いです!わくわく!
神は人を救うか
HELPと書かれた差出人不明の手紙が特捜部Qにやってきた。
深刻な病なのか、体調の良くないカールに代わってアサドとローセはメッセージの解読をすすめる。
そして、ここ何年かで行方不明になった子供がいないか探し始める。
一方、とある田舎町では洗礼が行われていた。そこに住む人たちはみな「エホバの証人」であり、純朴な農民だった。
数ある家の中に一人の教徒(宣教師?)ヨハネスがやってくる。その家には、幼いながらにもしっかりとした姉と、弟がいた。今回誘拐される兄弟である。犯人は、信仰心の強い家庭で、かつ兄弟がいることを条件に誘拐しているようだった。
しかし、この誘拐事件が警察の耳に入らなかったのは、事件を知りながら親が通報していないからなのであった。
エホバの証人である彼らは、「通報すれば子供たちを天国にはいかせない」と言われると何もできないのであった。宗教を熟知している犯人はその心理を逆手に取り、多額の身代金を要求し、かつ子供を殺した。しかし、唯一生き残った子供を特捜部Qは見つけ出し、その子供の兄であったポールが差出人Pであることにたどり着く。
手紙が届いたタイミングで起きた誘拐事件。
まるで、今回の事件を解決するべくやってきた過去からの手紙に神の存在を疑うカールであった。
今回の事件で、両親が子供たちが誘拐されているのに神頼みで通報しないという事実に理解できないと蔑むカールだったが、アサドは「何を信じるのかは人によって違う、友人の信仰を見下すべきじゃない」と諭す。
そしてカールは理解できないながらも自らの心境の変化を感じ取るのだった。
さて、本作の犯人も「プリズナーズ」と同じく、信仰心を持っていた人間でした。
しかし、その信仰心が子供を縛りつけ傷つけていった過去をもつ犯人は、神に祈っても事態は変わらず弱いままの自分だったが、最悪の状況を変えるための行動力をくれたのは悪魔だった、という経験が心の支えとなっていた。
そして、それと同時に目の前で小さな子供たちが自分に殺されていくのに、助けない大人に疑問を持ち続ける。
「なぜ助けないのか?」と。
幼いころ助けてくれなかった大人たちに対しての不信感を、現在の子供たちを通して追体験し、「助けられなかったのは自分だけではない」ことと「いつになったら助けてくれる大人が登場するのか」を待っているかのようでした。
そんな犯人の唯一の良心にたどり着き、彼の居場所を突き止めたアサド。
このアサドの洞察力というのか、直感というのか、こういった部分の根底は、彼の多角的な視野と差別を受けながら差別する側の視点も否定しない部分から生まれてくるのかな・・・と思いながら見ていました。
ラストは日本ではありえない展開かなぁと思うのですが、こういうエンドは私的にはよいです。
この映画もそういう終わりですけどね、なんでダメかって一人の人間が背負うより法に背負ってもらった方が楽だからだと思っているんですが、でもそういう冷静になれない、後先考えられないラストっていうのもとても人情的かな、と思います。
さらに、子供に何があっても神に頼るのはどうなんじゃ!というのはこちらの映画でも書かれています。
毎回毎回アサドがかっこよくなってて本当にかっこいい・・・!こんなに頼りになるのに、敬語で助手というところが・・・さらにイケメンンンンンン!