深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

シーラという子/トリイ・ヘイデン~永遠に一緒にいられなくても愛は続くかもしれない~

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《内容》

 お世辞にも清潔とはいえぬ姿に敵意むきだしの目。シーラは6歳にして傷害事件を起こし、トリイの特殊教室に送られてきた。決してしゃべろうとせず泣きもしない。ときに怒り狂い金切り声をあげ大暴れする。だが実は、ずばぬけた知能の持ち主で、心身に深い傷を負っていた…。暴力、貧困、虐待に蝕まれた少女が堅く閉ざした心をおそるおそる開き、一人の献身的な教師と深い信頼の絆で結ばれてゆく姿を描いた感動のノンフィクション。

 

 なんでこの本に出会ったのか分からないのですが、なぜか出会って、それでトリイ・ヘイデンの本は全部読もうと思った。

 

傍にいることだけが愛じゃないのかもしれない

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だが、基本的にはわたしは夢見る人間だった。子どもたちの理解できない行動とわたしの傷つきやすさの無効に、落胆や、自信喪失の向こうに、正直いって気づくこともめったにないのだが、ある夢があった。事態は変わりうるのではないかという夢が。夢見る人間であるだけに、わたしはその夢を容易なことではあきらめなかった。

  本作は、情緒障害の子どもたちの先生であるトリイ・ヘイデンの体験した実話であり、彼女の担当する「頭のおかしい子のクラス」にやってきたシーラという特異な子どもとの思い出が描かれています。

 

 引用文はトリイの自己分析の一節なのですが、私はここの文章だけで何回泣くんだろうというくらい涙が出てきてしまう。それは私も夢見る人間側にいることを自覚していながら、自分の傷つきやすさのために、信じていながらペシミスティックに世の中を見てしまうからだと私も私を自己分析してる。

 

 私はこの本を読んで、思いがけずトリイに救われてしまった。こういう夢見ることを封じなくてもいいのだと、傷つきやすい脆さがあってもそれを持ち続けてもいいのだということをトリイに教えてもらった。

 

「あたしにも花を飼いならせると思う?あたしだけの特別な花になって、あたしはその花にシェキニンがあって、っていうかんじに。あたしだけの花にするために飼いならすんだ」

  さて、シーラである。

 彼女は、母親からハイウェイに蹴りだされ、うろついているところを保護された。母親は彼女の弟のジミーだけを連れて消えてしまい、血の繋がらない父親の元でシーラは暮らすこととなった。

 

 ミレニアムシリーズでも少しだけ語られるのですが、暴力が身近にある中で育った子どもは絶対普通になんかならない、という一文がありました。その理由というか過程は本書の中でトリイが書いてくれているのですが、シーラもまた「いい子になるためには大人にぶたれなければならない」という考えを持っていました。

 

 誰にも自分を傷つけさせないために、シーラは絶対泣いたり傷ついた顔をしたりしませんでした。誰からも愛されることはないと思っていたから、愛することも分からなかった。だけど、彼女はトリイと過ごす内に自分が愛して、愛されることを願うようになったのです。

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 私はオールオアナッシング気質なところがたぶんあって、姪っ子と遊ぶんですが、帰るよー!ってバイバイすると大泣きで全然話も聞かないで、ひたすら泣きまくって連れてってくれと靴を履きだしてしまうので、もう遊ばないと思ったんです。

 

 面倒臭いとかじゃなくて、そんなに悲しい思いをさせるくらいなら最初から遊ばなきゃ良かったんだ、どうせ帰るくせにこんなに彼女を泣かせてしまうなら、もしかして楽しかったのは私のエゴだったんじゃないか・・・とかグルグルと思い始めたから。

 

 よく歌詞にも「別れるなら最初から出会わなきゃ良かった」とかあるじゃないですか。それに発展途上国での子どもの金クレも。

 

 私はそれに関してどれが正しいのか、というか、自分を納得させる糸口が見つからず、だったら最初から関わらない方がお互い傷つかなくていいのだと思っていました。

だから、トリイがシーラにお別れを告げるシーンでは、「どうするんだろう?」とそればかり考えていました。

わたしは"別れるときに辛い思いをしても思いっきり愛したほうがいい"派だったが、この考え方は教育界ではあまり人気がなかった。教職課程でとる授業も、プロの教師たちも、みんながあまり深入りするなと諭していた。だが、わたしにはそれができなかった。深入りせずに効率的に教えるなんてことがわたしにはできなかったのだ。 

  トリイは別れは辛いけれど、自分たちが過ごしてきた思い出がすばらしいほど別れることができると言う。

 だけど、トリイのやり方は自分は乗り越えられても、それをシーラや他の子どもたちにも強要するのは非常に酷なのではないかと悩む。

 

 このシーンから、最後のシーラから届いた詩まで涙がずーーーっと目に浮かんでました。だけど、それでもトリイのやり方でしか私も愛することはできないし、もしそれがダメなら愛さないという方向に行ってしまう。

 トリイは私が逃げた部分の解決策として「相手を信じる」という道に進んでいた。

 別れの瞬間や何日かはとても辛いけれど、いつか立ち直れると相手を信じること。自分の理想を強く持ち、それが相手を傷つける可能性があることを認めながら、相手を信じること。

 それって結局自分のやり方を相手に強要して、信じてるから!って放り投げるのとまあ同じように思えるんだけど、愛って信用しないと成り立たないんだなってこともこの本で学びました。

 信じなきゃ依存になっちゃうから。

シーラという子

シーラという子

 

  子どもの時にやさしくされたことってすごく記憶に残ってるんですよね。私は性善説をどうしても信じてしまうから、それを否定されても持ち続けられるくらいいろんなことを知りたい。