≪内容≫
抱きしめてほしい、クズのような私を-愛を受けずに育ったため、人づきあいができず、重度の情緒障害を抱える娘の愛し方も知らぬ母親。娘の通う教室の助手になり、トリイと共に親と子の問題に立ち向かい、模索する姿を綴る。
今回ももちろん子供たちとの教室での出来事なんですが、違うのは書かれてるメインの人がトリイよりも年上の女性だということ。
彼女はトリイのクラスに通う子供の母親だったのだ。
檻の中の母親と娘
美しくて、お金持ちで、頭がよくて、すばらしい夫がいて。あの人は幸せの条件をすべて満たしているのよ。それなのに、あの人のしていること見てごらんなさいよ。わたしの教室にいる子どもたちのほとんどの親を見て。彼らにあるのは何だと思う?福祉。刑務所での刑期。教育も、お金も、チャンスも、希望も、何もないのよ。彼女はそれを全部持っているくせに、ばかなことばかりやって。断じて同情の余地なんてないわ
重度の情緒障害と糖尿病を患うレスリーの母親であるラドブルックに対する他者の意見は、トリイの同僚・キャロリンが言ったとおりらしい。
しかし、トリイはこの土地に来たばかりなので、ラドが美しいことと気難しいことはレスリーのお迎えの時点で分かったが、それ以外のことについてはよく知らなかった。
"ばかなことやって"というのは、ラドがアルコールに頼り、酒臭いままレスリーを迎えに車できたり、街の酒場で多数の男の人と親しげに飲んでいることが噂されているからだった。実際、ラドはアルコール依存症により前歯が溶けていたし、酒臭いままレスリーの迎えに来て、挙句教室で吐いて眠りに落ちた。
わたしがいいたいのはそういうことなの。めちゃくちゃになってるのはわたしだけで、全世界がめちゃくちゃになっているわけではないのだということを、わたしは知る必要があるの。わたしはすごく弱い人間よ。そばにもっと強い人が、まだ事態をコントロールできる人がいてくれるって知る必要があるのよ。
あまりに美しく聡明で野生の獣のように近寄りがたいラドに誰も話しかけなかったが、トリイは引かなかった。レスリーが交通事故に遭わないように、ラドを帰らせたりお酒を飲んで来ないで下さいとはっきりと注意したのだ。
ラドはトリイに恐れを感じたが、すぐに自分に必要な何かに気付き、トリイの助手を申し出た。無償のボランティアだった。そこでトリイと子供たちの過ごし方を見ていく内にラドの中で何かが変わっていったのだ。
私は度々あまりに美しい女性はスポイルされてしまう、と言うようなことを書いたり思ったりしている。(参考→回転木馬のデッド・ヒート/村上春樹、【映画】溺れるナイフ)
結局この母娘の問題も、父親が絡んでくるのだ。
娘のレスリーはなんと家では糞尿を垂れ流し、とにもかくにも彼女を自然のままにして、その状態を神や妖精かのように祭り上げていたのだ。
父親のトムは芸術家で、レスリーを無垢な存在として愛し、ラドブルックの美しさと聡明さ、それからアルコール依存症な部分に手なずけられない野生の美しい獣を見ていた。
トリイの目で世界を見ると、自分が世俗に染まったつまらない人間のように思えてくる。トムみたいに夢の中で生きてる人や、「ヴィーナスという子-存在を忘れられた少女の物語-」に出てくる助手・ジュリーのように誰も傷付かないユートピアを目指している人たちの中で、トリイは現実と向き合う。
あの子は現実の世界で暮らしている現実の子どもなんです。抱き締められてかわいがられ、自分がやりたいことは何でも、いつでも許してもらっていたら、レスリーにとってはいいことかもしれませんし、これからもずっとそういう具合にいくんでしょうが、それはあの子をだましていることになります。わたしたちは自分の責任を回避しているんです。
トムの言いたいことというのが分からない訳ではない。
誰だって美しいものが好きで、その美しさの根本にあるのはイノセントなのだ。美や無垢と同列にレスリーを掲げているトムと、現実社会とレスリーを結び付けているトリイとでは会話にならない。
しかも悲しいことに、トリイは自分が現実について話していることを退屈で陳腐だと自覚していた・・・。
そういうトリイの柔軟さ、清濁併せ呑む強さ、言葉に説得力を持たせる言い廻しには学ぶところがたくさんあります。
ラドブルックにも欠点がありました。それは自分の気持ちを自分で話せないということなのです。
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文庫版もありました!
愛されない子 (上) -絶望したある生徒の物語- (ハヤカワ文庫 HB)
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一番「ああ~こういう言い方があったのか・・・・」と納得したのが、自分にまとわりつく子どもに対してのトリイの言い方で
わたしはああされるのがいやなの。あなたに上にのられて、ぶらさがられたり、キスされたり、体中触られたりすると、腹が立ってくるのよ。これはわたしの体なの。それをほかの人が許可なく使うのはいやなの
これはわたしの体なの。それをほかの人が許可なく使うのはいやなの、という部分。
子どもだけじゃなくて、大人同士でも、勝手に腕組まれたり触られたりするのが嫌なのは、こういう心理だったのか・・・と深く納得したし、子どもにもこうやって説明すれば分かりやすいのかな、ととても参考になった一文でした。