≪内容≫
汚職にまみれた社会でマフィアに挑みかかる一人の男。「ファルコン」は、1980年代から90年代初頭までイタリアのマフィアに裁きを受けさせた、勇気あるシチリアの判事、ジョバンニ・ファルコンの感動のノンフィクション・ドラマ。元ドンの密告者に助けられ何百件もの起訴を実行したファルコンの仕事は全面的改革に繋がったが、その代償はあまりにも重かった・・・。
マフィアと言ったらイタリアで血の掟はなんとなーく聞いたことがあるのですが、遠く離れた日本にまでその噂がくるほど巨大な組織になるのは、もちろんマフィアだけの力じゃない。
人は生きることが全てだと私は思うのだけど、生きていく中で「成し遂げるべき何か」を見つけたなら、きっとこういう人生のことを言うんだろうと思う。
すべき「何か」に理由はない
本作は、シチリア島のマフィア勢力と戦う判事・ジョバンニ・ファルコンの実話である。マフィアをとっちめれば暗殺されるのが当然の報いとなり、何人もの判事が殺されていた。
それを知っていてもファルコンは逃げたりはしなかった。だが、そこにマフィアに対する個人的な恨みや過去、そこに命をかける理由等は見当たらない。
ファルコンはただ、正しいことを選んだのだった。
しかし、人は「正しいこと」を望みながら、目の前にある「利益」にも心惹かれてしまう生き物であった。ファルコンの行いは善を施すべきである仲間の判事や政治家によって覆されてしまう。
なぜなら、彼らがマフィアと血の掟を交わしているなら、ファルコンの判決を覆さないことには自分が殺されてしまうからである。
悪だと分かっていても、人は自分や家族の「命」を天秤にかけられれば弱く、かつ一度も過ちを犯さず正解ばかり選択するのはほぼ不可能である。
よって、ファルコンの行ったことは万人に出来ることではなく、かつ、マフィアに関係のない多くの市民の願いを叶えることとなった。
ファルコンにとって、マフィアの告発は「どうしてもしなければならないこと」だったのだろうと思います。市民のためにやったわけではない。だから自分の生活を犠牲にして、という考えはなかったように見えました。
自分の「すべきこと」と感じたものが、人を悪の道に進ませることもあれば、それが多くの人たちの願いを叶えることにもなる。志しの途中で、人と出会い別の道を進むことだってあるでしょう。
ファルコンが歩いた道は今もこうやって時代を超えて現代の人の心を温め続けている。
ファルコンは勇気と行動力と粘り強さがあった。そして名前しか知らない人々のことを大切に思う気持ちがあった。何かを大切にすること、真面目に物事を行うこと、その二つがあればきっと何かが変わっていくはず。