≪内容≫
同じ病院の隣のベッド同士で生まれ、幼なじみでずっと一緒に育ったジンジャーとローザ。まだビートルズもヌーヴェルヴァーグも来ておらず、2人は学校の授業をさぼって宗教、政治、ファッションについて語り合い、ヒッチハイクをして男の子と遊んだり、煙草を吸ってみたり、アルコールを試してみたりと、少女から大人へ変化する青春時代を満喫していた。
しかしローザは自由奔放で、ジンジャーはそんな彼女についていこうとしてあれこれ試したりするがうまくいかず、1人で詩を書くなど、少しずつ2人の間には溝が出来始めていく…。
切ないけれど、人生でこういうことはあるんだよね。浜崎あゆみの歌詞によく出る「いつまでも同じところにはいられない」ってのは大人になるとよく分かる。
個人の幸せ、人類の幸せ
ビックリポイントの一つは冒頭に流れる広島の映像です。当時の核兵器の様子っていうのはどうだったんでしょうか。我々日本人は被爆国として学校で必ずその授業を受けると思いますが、それがアメリカ以外の他国の一般市民の女の子にまで強く影響していたなんて、正直とってもびっくりしてます。
戦争だけでなく、いじめや虐待や殺人や事故、色んな悲劇が今もどこかで起きている。戦争に負けがむしゃらに国の再建に尽力した当時の日本人のように、当事者というのは前を向いて今日明日自分家族という狭く深い場所を追及していく。
ジンジャーのような第三者というのは当事者ではない。何かを変える大きな力を持っているわけでもなく、実際の痛みを背負った訳でもないのだが、現実に起きたことや想像の中で膨らんだ凶悪な力に脅えている。
こういう大きすぎる愁いはときに「実際にあんたがやられたわけじゃないじゃん」という言葉で斬られてしまう。そしてそれが事実なだけにジンジャーのような人たちは行き場を失くしてしまうのだ。
主人公・ジンジャーが大きな愁いに負けないように行動に移そうとしているとき、幼なじみ・ローザは一人の男の人と心を通わせていた。
それはジンジャーの父親のローランドであった。ローザとローランドには共通の生い立ちがあり、それは本当の父と娘、結婚した父と母にはないものだった。特別な繋がりを見出したローザにとって重要なのは個人の生き方でありローランドを救うことだった。
ジンジャーは常に世界に目を向けていたため、ローザが戦争という大きなことより自分のパパとの世界、しかもジンジャーやジンジャーの母を傷つけてまで得ようとしている世界を理解出来ない。
しかし確実にジンジャーの家族という小さな世界は崩壊を辿って行く。もともと仲は良くなかったけれど別居に発展し、父と母がそれぞれの役割を放棄し自らの個人的な欲望や夢に走る姿は、多感なジンジャーにとって混乱を招くものだった。
生まれたときからずっと一緒だった幼なじみが自分の父親に好意を寄せることまでは理解できても、父親が幼なじみにデレデレしてる姿を見るのは信じられないほどの苦痛であり、今までの世界が音を立てて崩れるのは想像するのに難しくない。
さらに、母親がずっと悔いていた絵描きを始めたこと自体は全く問題はないが、父が不道徳に走っている最中に母親が自分の道を見出したとなると、その先は家庭崩壊しかない。
ジンジャーは世界に対して不満があった。物事を受け入れるのではなく変えようとしていた。だが、世界はそんなジンジャーのことはおかまいなしに好き勝手に様子を変えて進んでいくのだった。そんな中でジンジャーは一つの答えを見つける。
特徴的なのはジンジャーが相談する大人たちがみんな「今を楽しめ!」と言うんですよね。子供の時は「何なまっちょろいこといってんだよいい大人が」と思ってたけど、たぶん今私がジンジャー的な子に会ったら「今を楽しめ!」と言うでしょう。それくらい、人生において楽しみということがどれだけ影響を与えるか分かってきてしまったから。