≪内容≫
17歳の玉意(ユイ/ティエン・ユアン)は、高校3年生になる夏休みに、おじの洋服工場で見習いの平安(ピン・アン/ディーン・フジオカ)と出会う。そして後に同級生となる惠芳(ワイ・フォン/ジャン・チェン)と友達になる。そこからひと夏の淡い恋物語が始まる。
これほど天才を感じる映画は初めて。
8月を最後に僕らは制服を脱ぎ捨てる
主人公・玉意(以下ユイ)は夏休み中に新学期に必要な教科書や学費、制服を父に買って欲しいと頼むが、父はユイに関心がない。母はすでに他界しており仕方なく父に頼むがあっけなくおじの洋服工場で働いてそのお駄賃として作ってもらえと切り捨てられる。
その工場では見習いの平安(以下ピンアン)がいた。家に帰っても来客のために追い出されるユイは工場で寝泊まりしているピンアンと一緒に工場に泊まることとなる。
孤独なユイに対してピンアンは優しかった。夏のうだるような暑さの中でクーラーもなく寝苦しい夜にピンアンはうちわで風を送ってくれる。
香港の暑い8月の中では、登場人物の顔は常に火照っており、汗が服にシミをつけている。そんな中での恋は熱く盛り上がるのではなく静かな風となる。
何年もずっと
制服を手放したことを悔やんだ
ただ白いだけの制服だったけど
私たちの姿そのものだった
この物語60分くらいのショートムービーなんですが、ものすっごく良く出来てると思う。「八月の物語」というのは単に現実的な8月ではなくて、人生における思春期、自分探しに当てた時間のことを指しているのです。
制服というのは自分が自分のことを理解していなくても、他人から見たら一発でカテゴライズできる名札みたいなものですよね。「あの人は学生だな」「あの人はOO売り場の人だな」「あの人はOO国の客室乗務員だな」とか。まあもっと広くスーツなら社会人、とかね。
対して私服というのは自分です。
個性。自分がどういうものが好きか、色合い、形、センス、はたまた体温や新陳代謝まで伝わるのは香港さながらかもしれない。
制服に包まれている間(社会に守られている間)は、そこからはみ出たくて、自分というもののオリジナルを追求したくてしょうがないけど、いざ脱いでみるとその当時のことがものすごく愛しくてノスタルジーな思い出となって残っていたりする。
この物語は追求する一歩手前のユイと追求中のピンアンの人生が交差したほんの一瞬のことなんですね。セツナイ。
制服にこれだけのテーマを入れ込むセンスと着眼点。これが天才なのか?