《内容》
シカゴの大司教が、78カ所の傷を負って殺害された猟奇事件で、敏腕弁護士のマーティン・ベイルは、名声を得たいがために、その容疑者である19歳の少年アーロンの弁護を無償で引き受け、元恋人のジャネット検事と対決することになる。しかし、大司教を敬愛し、殺害時の記憶を失っているアーロンの、その記憶の糸をたぐり寄せていったとき、そこには恐るべき真実が…。
リチャード・ギアってどっかで見たことあるなぁ・・・と思ったらこれ。
この映画もすっごい印象深い役柄だったけど、今回もキてますね。
エゴはエゴを呼ぶ。なのに傷つくところが人間臭いなぁと思います。
誰にでも二つの顔がある
名声が欲しい敏腕弁護士のマーティン・ベイルは、大ニュースになっている猟奇事件をテレビで見てすぐに容疑者の元に駆け付けた。
容疑者であるアーロンにすぐ会いに行き、自分が弁護することを取り付けた。アーロンは弱気でおどおどしている少年だし、自分はやっていないのだと、ほかに犯人がいるのだと言う。
マーティンはアーロンの意見を信じ、彼を無実にすべく立ち上がるが、血だらけの姿で逃げ回っていたアーロンへの容疑は揺らぐことがなかった。
負け戦となりそうな展開にイライラするマーティンだったが、その原因の一つはアーロンにもあった。彼は突然記憶が消えることがあるといい、大事な部分を知らないということがほとんどだったのだ。
そのせいで真実は法廷で相手側から突きつけられたりと後手後手な展開になってしまう。
しかし、一本のビデオテープが発見されてから真実は急スピードで浮かび上がることとなり、アーロンのもう一つの顔も表に出るのだった。
アーロンの一面を知り、ますます自分のやっていることは正しいのだと思えてきたマーティンは、法廷の相手が元恋人だろうが手加減なしで自分優勢にガンガンと進めていく。
自分は弱者を守るためなのだと、さらに言うと相手の敵討ちなのだと、とにかく自分がやっていることは正しいのだと、おそらく思っていたに違いない。
しかし、アーロンの秘密によってマーティンは言葉を失う。性的虐待や搾取に晒された哀れでかわいそうな守るべき存在だと思っていた人間の真実はマーティンの生き方や考え方まで深く傷つけることとなる。
内なる顔と外部に対する顔を
使い分ける者はやがて
どちらが真の顔か自分でも分からなくなる
この言葉がこの映画の本質だと思うのですが、とどのつまり名声が得たいエゴなマーティンと性善説を信じるマーティン、弱くかわいそうなアーロンとドメスティックなアーロン、どちらも二つの顔を持っている。
だけど、どちらが内なる顔でどちらが外部に対する顔なのか、使い分けている自覚があるのかないのかそんなことは他人にはわからないし、自分にさえも分からないこともある。
まさに真実の行方とは・・・?というお話でした。最後だって、それが真実かどうかなんてわからないわけで。。ただ思うのは、他人を使って何者かになろうとしたってそりゃあ無理な話だね、ってところでした。