《内容》
推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。
「推し」という単語がよく聞かれるようになったのはいつからだろう?私にはピンとこないものですが、池袋あたりで同じキャラクターの缶バッチで埋め尽くされたカバンを見ると、それを私は「この人の推しのキャラクター」と認識する。
すごくわかるなぁ、という人と、私のように難解に思える人の二つに分かれる気がする作品。
「押し」を通して自分を取り戻す
携帯やテレビ画面には、あるいは、ステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを賭けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。
主人公は女子高生・あかり。
あかりと推しの出会いはあかり・4歳、推しの上野真幸は12歳のとき。
ピーターパンの舞台での演者と観客。そのときはただそれだけだったが、時がたって高校生になったあかりはこの舞台のDVDを見つけ、もう一度推しと出会い、推しを推す生活が始まるのだった。
あかりは二人姉妹の妹で、勉強ができなくて、宿題を忘れたり、友達から借りた数学の教科書を返し忘れたり、居酒屋のバイトもうまくできなくて、高校中退を決めた。
その後居酒屋のバイトの連絡も忘れてクビになって家を出たはいいけど職も失う。
病名をもらっていて自分のことを「普通じゃない」というあかりは、忘れっぽさからもADHDかと予想される。
人ができてることができない。そのことを自覚しているあかりは、推しを推すことにすべてをささげる。
あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。
だが、あかりの推しはファンを殴ったと炎上する。そこから推しの人気はどんどん下落して推しはついに脱退し一般人となった。
すべてを投げ捨て、明け渡してきた対象が唐突に消えたとき、あかりは一体どうなってしまうのか?
恋人や家族や仕事も大切にしながら推し活をしているのとは違う。自分と一心同体と思っていた推しだから、推しの消失は自分の消失であり、自分と向き合わざるを得ない機会となった。
推しを推すことはあたしの業であるはずだった。一生涯かけて推したかった。
それでもあたしは、死んでからのあたしは、あたし自身の骨を自分で拾うことはできないのだ。
死ぬまで推しを推すことで自分をごまかしても死んだらもうやり直せないことに気づいたあかり。死んで骨を拾うのは他人。今までバイト先の人にも親にも姉にも迷惑をかけてきたけどその理由は推しを推すこととして推しのせいにできた。
でも、推しが消失したことで、その言い訳はもう使えない。ついにあかりは自分の生活に目を向ける…というところで話は終わります。
自分で精いっぱいの私は、他人を応援したり自分に関係ない出来事に一喜一憂することができない。主人公のあかりとは真逆にいるような気がするので、すらすらとは読めたけど、ただ読めたというだけな気がしてあまりこの作品に深くコミットすることができなかった気がします。
どちらかというとあかりの姉のあかりに対する「ずるい」という言葉や「頑張らなくていいから頑張ってるって言わないで」という方が分かるのでした。