《内容》
灼熱の夏、彼女はなぜ幼な子二人を置き去りにしたのか。フィクションでしか書けない“現実”がある。虐げられる者たちの心理に深く分け入る迫真の長編小説。
この小説は、実際に起きた事件「大阪2児餓死事件」をモチーフにしています。同じくこの事件をモチーフにした映画はこちら↓
暴力で子供を殺したのではなく、必死に育てようとしたけれど、できなくて結果死んでしまったという悲しい事件。
私の娘は、その頃、日本じゅうの人々から鬼と呼ばれていた。鬼母、と。この呼び名が、実際のところ、いつ頃から使われていたのかは不明だが、まさに娘のためにある言葉だと多くの人は怒りと共に深く頷いただろう。
毎日は、他人の心を思いやるには忙しすぎるから、まとめられた記事やまとめられたニュースを無条件に受け入れてしまう。
そうして無理解のまま人を非難して、無意識に何の悪気もなく加害者となる。
例えばもし、自分がこんな状況だったら、どういう風に行動できただろう?どうやって悲劇を回避することができただろう?
そう想像するための材料は、この376ページだって足りないはずだ。私たちは自分以外の人間になることはできない。気持ちを”わかる”なんてことは不可能だ。だからこそ、問題が起きたとき、自発的に問題に深くコミットする必要がある。そうして、深くコミットした人間ほど無口になる。
世の中の多くのノイズは浅瀬から生まれている。
逃げ遅れた人は救われない世界
私も、娘の蓮音も、自分の子を捨てた。事実だけを取り上げれば、同じ残酷で非道な行いに思われる。でも、私は、後先も考えずに投げ出したから、子供たちを死なさずにすんだ。そして、すべてを引き受けて来た蓮音の子供たちは死んでしまった。
事件の犯人である蓮音の母親・琴音の独白はこうだった。蓮音は琴音と父親の間に生まれた三兄弟の長女であり、突然いなくなった琴音と家事能力が0の父親に代わり、必死に二人の兄弟の世話をした。蓮音は自分の願いを他人に伝える術を失い続け、他人は蓮音に願いがあることさえ忘れていく。
そうして人は言うのだ。
「どうして言わなかったの?」
「どうして言えなかったの?」
と。
本当は弱味を見せて、心許ないから一緒にいて欲しいと言いたい時もあった。それなのに蓮音は、そう要求するための柔らかい言葉を持たないのだった。抱き締めて優しくキスをして、と言う代わりに、やけっぱちな調子で自分の体を投げ出すのが常だった。
このままでは、自分は誰にも大事にされない。蓮音は、しばしばそう思った。自分の手で、自分に対する人々の敬意を奪っている。そのことは、とうに知っていた。悲しい。どいつもこいつも馬鹿にしやがって。でも、そう仕向けているのは自分のせいでもあるのだ。
蓮音は「このままでは、自分は誰にも大事にされない。」と分かっていながらも、すぐに行動に移すことができない。
しかし、自分の弱点と向き合いそれを克服するなど多くの人ができないことだ。
そうしてどんどん楽な方、楽な方へと逃げていき、蓮音が弱点と向き合う前に夫と離婚することになったとき、夫側の家族は子供は蓮音の家族の血を引いているから引き取れない、と告げたのだった。蓮音が何の職業にもついていないと知りながら。
結局、夫側の両親も力になるといったはずの父も、失踪した母に代わって育てた兄弟の助けを借りることができないまま、蓮音と子供たちは放り出される形となってしまった。
母の琴音が姿を消してから、蓮音は誰かにすがるという行為を自分に禁じたのだった。あらかじめ頼ろうとしなければ、断られて傷付くこともない。呪文を唱えて必死になった。
がんばるもん、私、がんばるもん。
こうして蓮音は、二人の子供を一人で育てなければならなくなった。住む場所が与えられて二人を養える仕事として蓮音は風俗店で働き始める。
そして、自分が客の欲望を受け入れる代わりに自分の欲望を受け入れて自尊心を満たすためにホストにハマっていく。
二人の子供と生きていくために見つけた仕事が二人を殺すことになるとは、このとき誰も想像さえしていなかったように思える。
もちろん蓮音は、時々、我に返る。すると、さあっと血の気が引き、母親である自分に帰って呆然とする。いったい、私、どうしちゃったの? 自問自答しながら、蓮音は走る。そして、ドアを開けた時に桃太と萌音の無事を確認して、つくづく神様に感謝するのだ。そして、自分の愚かさを何度も何度もなじる。
ママの帰りを待ちながら死んでいった子供たち。蓮音は自宅から漂う異臭ですでに二人が亡くなったことも、その責任が自分にあることも知りつつ、ガムテープでドアを塞ぎ、二人を隠した。
そうして、蓮音が鬼母と呼ばれるようになって、琴音は自分の娘に会いに行くのだった。だがそれも、自分の娘への申し訳なさだけではない。琴音は逃げて逃げて逃げた先で手に入れた幸せを持っていたからできたことだった。
逃げて幸せを手に入れた琴音、逃げずに頑張って罪人となった蓮音。
物事の正義なんて立場や時代によって変わっていく。
蓮音はただ逃げるのが下手なだけだった。みんな自分の子供を捨てたり、血を問題にして捨てたり、避妊しなかったり、とにかく自分以外の命を捨てて逃げたのに対して、蓮音は命を持ったまま逃げた。
逃げることは決して悪いことじゃない。だからこそ、DVの被害者や、自ら自分を通報して子供を預けたいと連絡する親に、支援者は牙を向かない。
「いい人は帰ってこなかった」は、強制収容所での体験が描かれた「夜と霧」の有名な一節ですが、正義を守る人間よりずる賢い人間、うまく逃げられる人間の方が有利なのが真実です。
逃げることもすごく難しいことだけど、他人を蔑ろにできる人間は生き延びて、不器用でも立ち向かう人間が結果裁かれてしまうのはすごく悲しい。
その内に、私は、ひとつの方法を思いついた。目の前から消えて欲しいと切望する人間が、あくまでそこに居座ったままでいるなら、自分の方から消えてしまえば良いのだ、と。殺したいのに殺せない奴の姿を見ないですむためには、先に自分自身を殺してしまえ、と。