《内容》
彼女は消えた、跡形もなく、忽然と 彼はただ知りたかった、その行方を 巨匠スタンリー・キューブリックが3回鑑賞し、「これまで観たすべての映画の中で最も恐ろしい映画だ」と絶賛。 サイコ・サスペンス史上No1の傑作といわれる金字塔!
フランスか・・・
今更だけどフランス映画で後味良かった映画ってあっただろうか?後味悪くないのは合っても、スッキリ!とか感動!!っていうのない気がする。ただただ、余韻が残る。でも、そういうとこが・・・たまらなく・・・すき・・・
好奇心に踊らされるな、好奇心をコントロールせよ
「好奇心は猫を殺す」ということわざは、私の戒めとして常に脳裏にある言葉である。この映画は、まさにこの通り。他人への好奇心、真実を知りたいという好奇心、常識のその先を見たいという好奇心。
好奇心は善悪の判断を超える。
ほんとはやってはいけないことだとわかっているけど・・・。
ほんとはここで引き返すべきとわかっているけど・・・。
私たちは常に葛藤している。
好奇心が導く先が、快楽でもあるし死であることを本能的に知っているからだ。
好奇心は誰にでもあるし、冒険もせず石橋をたたいて一生を終えるくらいなら好奇心で死んだ方がマシなのでは?好奇心で死ぬ確率なんて、がんで死ぬより低いはずだ、
こんな些細な選択で自分が死ぬわけないじゃないか
私たちは謎の過信によって好奇心に踊らされる。コントロールしたいと願うときは常に後悔する時だ。
さて、本作は
オランダからフランスへと車で小旅行に出掛けていたレックスとサスキア。
立ち寄ったドライブインで、サスキアは忽然と姿を消してしまう。
必死に彼女を捜すも手掛かりは得られず、3年の歳月が経過。依然として捜索を続けるレックスの元へ、犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始め…。
という内容である。
レックスはサスキアが身元不明になってから3年たっても彼女を探していた。TVに出演し、犯人にメッセージも送った。
レックスの熱意は犯人に届き、犯人はレックスに真実を告げようとドライブに誘う。そして、サスキアと同じことを君にする、そのことで君は彼女に何が起きたか知ることができるだろう、と言うのだった。
犯人は睡眠薬が入っているコーヒーをレックスに飲めと言う。
そしてそのあと、サスキアと同じ目に遭わせると言う。
率直に考えて、これを飲めば殺されるし、飲まないでこの場を去り、信じてもらえなくても警察や知人に起きたことを話す、の二択がレックスに与えられたのだ。
真実を知りたいという好奇心は、レックスを犯人の言葉通りサスキアと同じ目に遭わせ、レックスの希望通り「サスキアに何が起こったのか知る」人生へ導くのだった…。
フランス映画で絶対にあるのが「生」と「死」と「性」。
とかく哲学が呼吸のごとく入り混じるフランス映画。今回は犯人の人生哲学。自分が想像した未来と、それを引き止める常識。自分の想像を実現するには常識を打ち破る必要がある。
そしてその常識とは、人々が何の疑いももたず信じている常識とはなんと薄っぺらいものか、それを証明する英雄となるのが犯人であった。
サスキアの失踪事件を思いついたのはある出来事がきっかけだった。それは、溺れていた少女を助けたときのことだった。
娘や少女の家族は少女を助けた父をヒーローと称賛したが、実際に助けた少女は自分が大切にしている人形を助けてくれなかった犯人を認めなかった。
このとき、犯人は自分の落ち度が許せなかったのだろう。
次こそは完璧にする。
誰からの批判も受け付けないほど完璧に。
常識を打ち破るには、その常識は統一されていなければならないのだから。
そんな犯人の想いと、サスキアの好奇心が生み出したVanishing point。その場所にたどり着くためにレックスを動かした好奇心。
「2つの卵がぶつかるとき、すべてが終わる」