《内容》
舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去を抱える寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。悲しみと“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福は、みさきと過ごすなかであることに気づかされていく―。R15+
もう一度原作を読んでしまった。
「女のいない男たち」の記事を読む。
映画は原作の中の「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」のミックス。よくあることだが、小説が映画になるにあたって多少ドラマチックになっている。原作のドライバーみさきは映画よりもクールだ。
それでも僕らは生きていく
何ごともなかったように日常的な雑事をこなし、何気ない会話を交わし、ベッドの中で妻を抱くこと。おそらく普通の生身の人間にできることではない。でも家福はプロの俳優だった。生身を離れ、演技をまっとうするのが彼の生業だ。そして彼は精いっぱい演技をした。観客のいない演技を。
(「ドライブ・マイ・カー/女のいない男たち」)
主人公の家福は舞台役者かつ演出家でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台に取り組んでいる。家福の妻・音(おと)は女優で脚本家だった。音は不思議な人で家福とのセックスの後必ず物語を語った。翌朝音は語ったことを忘れてしまうので家福がその物語を覚えて朝、音に伝える。それが音の脚本の作り方だった。
夫婦は子供を亡くしていた。その後は子供をつくることはしなかったが夫婦はうまくいっているようと家福は思っていた。音が家福以外の男と寝ること以外は。家福はそれを知りながら、音を責めることもしなかった。責めるよりも音から告白されることの方が怖かった。
しかし音が病死したあと、音と寝ていた俳優・高槻と再会し家福は音が他の男と寝ていた"意味"と"理由"を探すようになる。
彼女は疑われないように立ち止まらずに家を通り過ぎます
恐ろしいことが起きたのに
しかもそれは自分の罪であるのに
世界は穏やかで何も変わっていないように見える
でもこの世界は禍々しい何かへと確実に変わってしまった
音の作品が好きだという間男の高槻は家福の車での帰り道、家福の知らない音の物語の続きを語る。
それはとある女子高生が好きな男子の家に空き巣に入るという話だった。家福が知っているのは、彼女が男子の家から出ようとしたときに誰かが家に入ってくる音がした、というところまで。
高槻はその後を語る。そこに入ってきたのは誰なのか。その人物によって変わってしまった女子高生の続きを。
高槻はその後、傷害致死罪で取り押さえられ舞台は降板となる。ワーニャ伯父さんの主役であるワーニャ伯父さんの代役ができるのは家福しかいないとなり、家福は一度は去ったステージにもう一度上がることを決めたのだった。
仕方がないの
生きていくほかないの
長い長いい日々と
長い夜を生き抜きましょう
運命が与える試練にもじっと耐えて
安らぎがなくても
今も年を取ってからも
他の人のために働きましょう
そして最期の時がきたら
おとなしく死んでいきましょう
そしてあの世で申し上げるの
あたしたちは苦しみましたって
泣きましたって
つらかったって
辛いと嘆くワーニャ伯父さんにかけたソーニャの言葉。
結局のところ、音亡き今、家福が知れることは"仮定"であって"真実"ではなかった。その幻を求めて、自分の傷付いた心を癒すために誰かを傷つけようとする家福の回復の物語が「ドライブ・マイ・カー」なのである。
ちなみに車にこだわる設定には強い"こだわり"を感じる。家福の中に他者の影響を受けないのではなく拒む"聖域"みたいなものがあって、それが車なのだ。他者の運転にいちいち評価を下してしまい特に女性の運転に関しては手厳しい評価をする。"正しいこと"が強すぎる家福に音は"正しくない自分"を見せることができなかったのでは?と思いました。そのストレスで他の男と寝ていたのだと思う。まるで学校の優等生が万引きするみたいに。
だからこそ女性ドライバーみさきの存在が、固定概念の塊だった家福の世界を壊す一石として必要だったのだと思いました。
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高槻役の岡田くんは本当に器用な役者さんだなぁと思う。あんまり目立たない印象だけど実はすごい実力俳優なんじゃないかと思いました。