《内容》
20歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。笑顔でいなければ周りが追いつめられる。何かをはじめても志半ばで諦めなくてはならない。未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。そして、何となくはじめた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。涙よりせつないラブストーリー。
映画から↓
「【映画】余命10年」の記事を読む。
やっぱり恋って特別なんだな、と素直に思った作品。
私は自分のことを結構ひねくれものと思っているのですが、そんな私が素直に感動した作品。
どうやって生きたら後悔しないのか
恋なんかしない。幸せを望んだら今の自分が不幸みたいじゃないか。
それでも振り子は揺れる。不協和音の耳元に、恋という音色はとてつもなく澄んで聞こえた。
主人公の茉莉は不治の病で余命10年と宣告されていた。すでに10年後に死ぬとわかってるから就職も恋もなにもかもが期限付きだった。
何かを始めるには少なすぎて、でも諦めるには長すぎる10年を持てあましていた茉莉は旧友のススメでコスプレや漫画を描いたりして趣味に没頭する。
それも楽しい毎日だったが、同窓会で再会した和人と恋に落ち、茉莉は幸せと恐怖の両方に苛まれることとなる。
限界だった。嘘をつくのは疲れた。だからもう眠りたかった。
それは諦めじゃなくて、走り終えた疲労感。だからとても疲れていたけど、満足はしていたの。
あとは大好きな人たちにありがとうを告げて、どうかもう、眠らせて。
茉莉は治らない病であることを伏せて和人と付き合い出す。いつか手放さなければならない恋。永遠に自分のものにはできない恋。だからこそだろうか、茉莉と和人のデートはそこまで語られないが、きゅんきゅんする描写がたくさんある。
欲しいものがあっても体がついていかなければ心も疲れ果てる。そのことは私にもよくわかるので、茉莉の諦めではなく疲労で眠りたい、というのはとてもリアルだなぁと思いながら読んでいました。
もちろんずっと一緒にいたいけど、そんなこと言えるほどの体力がないんだよね。
(どんな生き方だったらよかったのよ…)
噛みつくように心で叫んだ。けれど答える声はない。いつだって答えなんてなかった。だってわたしは必ず死ぬ。それだけは決まっている。そう思うことで、死の恐怖と向き合わないようにしてきた。そんなものとまともに向き合ったら怖くて一歩も進めなくなってしまう。生きることの辛さを、死ぬことが救ってくれる、そう思わなければ死を持って生きることなんてできやしなかった。
間違っていない。
わたしは間違っていない。
病室で終わりを待つ茉莉のシーン。自分と同じ病の20歳の女の子に嫉妬する。あの頃、10年前、まだまだ長いと思っていた瞬間が自分に訪れると、その10年間がとても輝いて見えるのだ。
どんな10年だったら自分を納得させることができるのか。
遺伝性の病で親族からは「茉莉のようにならないように子供達には定期検診を受けさせている」なんて言われて…
生まれ持ったもので、どうにもできない運命をどうやったら受け入れられるんだろう。解夏の時も思ったけれど、他人の人生はどれだけ思いを馳せても他人のもので自分のものじゃない。自分の人生で受け入れるしかないとなったときの恐怖は計り知れない。
たとえ病じゃなくたって、辛いことや事故で亡くなることもある。でも、余命を告げられるというある意味”猶予”が与えられたらいやでも考えてしまう。生まれて来た意味とか生きる理由とかなぜ私なのか、なぜ死ななければならないのかって。それに死ぬのが怖いというより、死ぬに至るプロセス…痛みが怖いのだ。心の痛み、肉体の痛み。そういうことを考えると、茉莉が和人を愛しながらも別れたのはすごくリアルで共感するなぁと思ったのでした。