《内容》
超話題の春樹の新作は名作なのか問題作なのか。そして何を問いかけるのか——強力なメンバーで謎めいたその世界へ挑む必読の一冊を緊急刊行。豊崎由美×大森望、加藤典洋、安藤礼二など。
今更感満載ですがw
ふと他の人の感想が気になって読んでみました。
新作を読む前の復習も兼ねて。
自分の感想はこちら↓
選ばれなかった人間がどう生きていくのか
どんな愛も差別化と排除を前提にしている。このことが『多崎つくる』の中でも暗示されている。あの五人は、奇跡的な仕方で普遍的な愛を実現しているように見える。確かに、彼らは信じ難いほどの調和を保っていた。しかし、彼らの間の愛の「普遍性」自体が、まさに普遍性を否定する排除を前提にしてのみ実現されていた、ということが何度か示唆される。そうした示唆を含んでいるのが、作中の最も謎深い寓話「六本目の指」の寓話である。
(ソフィーは多崎つくるを選ぶだろうか?/大澤真幸)
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、大学時代のある日突然、四人から絶縁を申し渡された主人公・多崎つくるが、新しい年上の恋人・沙羅に促され、その四人に会いに行き真実を探す旅に出る。という話である。
この四人と主人公を合わせた五人は”乱れなく調和する共同体”であった。だが、ある日突然その共同体から放り出されてしまったのである。
だが、そもそも調和する共同体になるためには、何かを排除している必要があり、それが「六本目の指」の寓話なのだ。
彼らは最初からこの共同体が5人だと思っているが、実は誰にも知られずに排除された”6人目”の存在が彼らを”乱れなく調和する共同体”にさせたのである・・・と。
5人はこの共同体を維持するために”必ず5人で行動すること”を不文律としていた。それはこのグループが男3女2で形成されているからであり、性愛が差別と排除を生む事を無意識で悟っていたからである。
性愛や恋愛は、その特異的な他者以外のすべての他者に対する、ほんものの無関心を伴っている。つまり、愛するその特定の他者以外の他者たちは、自分にとって「どうでもよい人」になるのだ。このような無関心を随伴していない性愛や恋愛は、にせものである。つまり、ある特定の人を愛しつつ、他の他者たちをも同じように愛する、ということは不可能なのだ。したがって、性愛・恋愛は「普遍的な愛」に対する根本的な否定である。
(ソフィーは多崎つくるを選ぶだろうか?/大澤真幸)
しかし多感な年頃の男女の間に一切の性愛・恋愛がないなんてことはあり得ない。(と私は思う)実際、主人公はピアノが上手なシロに恋していたし、陶芸家となるクロは主人公に想いを寄せていた。
感受性が強く共同体を誰よりも必要としていたシロにとって二人の恋愛感情は共同体の破滅になる。そのため、シロは主人公を排除することで性愛・恋愛を払拭し、「普遍的な愛」で成り立つ共同体を維持したのだ・・・というのが大澤真幸さんの解説であり、私もなるほどなぁ・・・と思ったところです。
数ある書評の中から、大澤さんの着眼点は「選ばれなかった人間がどう生きていくのか」という部分であり、それは「ソフィーの選択」という映画を軸に語られている。
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この映画はソフィーが二人の子供のうちどちらを選ぶか、そして選んだ後の彼女の人生を描いたもののよう。ソフィーに選ばれなかった子供のその後こそ多崎つくるなのだ。
多崎つくるがどうのうというより愛とはなんだ、という話に惹き込まれて、かつ映画まで紹介してもらえてすごく収穫のある本でした。
人のしかもプロの書評ってすごく重いなぁ、引用文や知識が半端ないなぁ、と思いとても勉強になりました。