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書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

海炭市叙景/佐藤 泰志〜生きることはもがくこと〜

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《内容》

海に囲まれた地方都市「海炭市」に生きる「普通のひとびと」たちが織りなす十八の人生。炭鉱を解雇された青年とその妹、首都から故郷に戻った若夫婦、家庭に問題を抱えるガス店の若社長、あと二年で停年を迎える路面電車運転手、職業訓練校に通う中年男、競馬にいれこむサラリーマン、妻との不和に悩むプラネタリウム職員、海炭市の別荘に滞在する青年…。季節は冬、春、夏。北国の雪、風、淡い光、海の匂いと共に淡々と綴られる、ひとびとの悩み、苦しみ、悲しみ、喜び、絶望そして希望。才能を高く評価されながら自死を遂げた作家の幻の遺作が、待望の文庫化。

 

海炭市という架空の地方都市の人々を描いた短編集。

連なる18編の中に、必ず自分が共鳴する話がある。それは今かもしれないし、あの時かもしれないし、こうなるだろうと予測している未来かもしれない。

 

生きることはもがくこと

 

あの人は、ボーリング場で知り合った時、ナイス・ボーイだった。一緒に大麻を吸った時も。そうして、レックレス・ライフ。でも、たいしたむこうみずでもないわ。ただ、夫は、本当はこの世にないものを探している。

「この日曜日」

 

 時代を感じる小説なんですよね。村上春樹と同い年らしいんですが、この時代は音楽がものすごい影響を持っていたんだろうな、と思います。この物語の次の「しずかな若者」なんか村上春樹か!?ってくらい似ています。

 

 この時代の青年特有の悲しみの昇華方法があり、黄昏があるんだな、と思いました。そう考えると令和の今の青年の悲しみの昇華方法はなんなんだろう?

 49年生まれの青年は一人静かに別荘なり自分だけの部屋を持ち、そこでひっそりと音楽や小説に身を任せ、時が経つのをじっと待っている。

 

 対して「この日曜日」のカップルは、変わりたくない青年と変わらざるを得ない女性の物語である。

 

 男性は妊娠しないので、突然「父親」になるため、心の準備ができていない、という説をどこかで聞いたことがあるが、この物語はまさにそんな感じである。女性が変わらざるを得ないのはその変化が自身の体にすでに起きているからなのである。

 

 よって女性の場合「親になるかもしれない未来」ではなく「親になり始めた未来」であって、すでに走り始めているのである。

 

 夫は結婚しても大麻を吸っていたあの頃に戻りたくて、仕事を休んで必死に大麻を探している。私の言った適当な「大麻に似た葉っぱを見た」という場所に向かう横顔はとても生き生きしている。だけど、過去なんてこの世にはないのだ。

 

 もしそこに大麻があっても、それはあの頃ではない。生きるのは常に今であり未来である。だからこそ二人は今手を取り合って前を向かなければいけないのに、片親である夫がこの世にないものを探しているから、私もこのお腹の子がこの世にないもののような気がしてしまう。

 

どこかの町のどこかの若夫婦の一瞬を切り取った作品が「この日曜日」です。

 

佐藤さんは一瞬を切り取るというのがものすごくうまい気がする。どの物語も一枚の写真が浮かぶのです。

 

 映画は「まだ若い廃墟」「ネコを抱いた婆さん」「黒い森」「裂けた爪」「裸足」のオムニバスのようです。

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海炭市叙景

海炭市叙景

  • 谷村美月
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 この人の才能にものすごく憧れる。