《内容》
時はロシア革命と第一次大戦の最中。英国のスパイであるアシェンデンは上司Rからの密命を帯び、中立国スイスを拠点としてヨーロッパ各国を渡り歩いている。一癖も二癖もあるメキシコやギリシア、インドなどの諜報員や工作員と接触しつつアシェンデンが目撃した、愛と裏切りと革命の日々。そしてその果てにある人間の真実――。諜報員として活躍したモームによるスパイ小説の先駆にして金字塔。
本当に面白すぎて。
この人なんでこんなに文章が面白くってうまいのか、それは解説に書いてありました。
こんな当たり前のことを綴ったのは、モームの小説を読んでいると、登場人物の描写が細かい。細かくて、それぞれが著しく異なっている。特徴が際立っている。
ーー人間はみんなちがうんだーー
と、モームはきっとそう考えていただろうし、これをしっかり味わうことがモームの世界を鑑賞する第一歩のような気がしてならない。
(いつも通りのモームです/阿刀田 高)
自らの好奇心に忠実なスパイ
アシェンデンは興味深そうにRをみた。ぜいたくをしらなかった人間にとってぜいたくは危険で、そういう人々にとってその誘惑は突然やってくる。狡猾で皮肉屋のRがいま、目の前のけばけばしい輝きと、うわべだけの華やかさの虜になっている。教養のある者が馬鹿話を面白くきかせることができるように、ぜいたくに慣れた者は、然るべき傲慢さで、上っ面だけのむなしい飾りを見下すことができる。
作家のアシェンデンはある時、Rに呼び出されスパイになるよう打診を受ける。作家として好奇心が旺盛で常にネタを探しているアシェンデンはこの誘いに乗ることにした。
アシェンデンの冷徹な観察は上司のRだとしても狂うことはない。
アシェンデンはふと思った。ハーバート卿があれこれ細かく話しているのは、いまのところ結末の見えない話の若者が卿その人だからなのではないだろうか。アシェンデンはとたんに気を入れて聞き始めた。
アシェンデンはアメリカ大使と英国大使の仲を取り持とうと、英国大使に助言する。それがきっかけで英国大使のハーバート卿と食事をすることになったのだが、この長くよくわからん話はなんやねん、と思って聞いていると、実は自分のことを友達の話と偽るよくある手法で自分史を語り出したのだと気づくや否や、俄然やる気がみなぎるのだった。アシェンデンは自らの好奇心に忠実なのだ。
しかし、そんなアシェンデンも疲れる時がある。
大使館の広いダイニングルームに座ってハーバート・ウィザースプーン卿の成功と後悔の人生話をきいたのが、はるか昔のことのようだ。アメリカ大使シェイファー氏のハーバート卿への嫌悪、アシェンデンのしてきた仕事、バイアリングとローズ・オーバーンの愛、どれも取るに足りないことばかりだ。人は揺り籠から墓場まで、束の間の人生を愚かに過ごして命を終える。つまらない動物だ! 星が、雲ひとつない夜空に輝いている。
そして、この冷徹なアシェンデンも恋することがあるのである。人妻のロシア人・アナスタシアを好きになり、彼女に離婚を迫る。しかし、彼女の夫は善人で、彼を傷つけることはなるべく避けたいという実に人間らしい都合良すぎることを考えるアシェンデンは全く人間くさい。
「だけど、彼が自殺したりしたら、ぼくたちは絶対に幸せになれない。ぼくたちの間にずっと彼が立ちはだかることになる」
「そうよ。わたしたちは恐ろしい苦しみを味わうことになる。でも、しかたないじゃない。人生って、そういうものでしょう。わたしたちは、ウラジミールのことを考えてあげなくちゃいけない。ウラジミールの幸せのこともね。でも、あの人の幸せは自殺することなの」
アシェンデンとアナスタシアは、ウラジミールという誠実な男が死ぬだけの愛が本当に二人にあるのか確かめようと一週間パリで一緒に暮らしてみることにする。
アシェンデンは自分の愛を疑っているのか、と眉を顰めるが、実のところ、このアナスタシアの提案に救われるのはアシェンデンなのであった。
毒舌っぷりがたまらなく好きでハマる。