森博嗣が日々どう思っているのか知りたいなーと思って読んでみた本。
面白かった。
理系のお堅い人かなーと思ってたら意外にブラックジョークを言ってみたり。
まぁ、だいたい本命はあとから遅れてくるものだと相場がきまっているのかもしれない。
若いときに合コンの幹事をしたことがあるが、たしかに、付属品の方がさきに来たような気もする。
これは、言い過ぎだと思う。
失言かもしれない。
きっと、あれは僕ではなかったのだろう。
確実に失言なんだが。
でも、何だか納得しちゃう私もきっと、私ではないだろう。
学ぶことは考えることではない
学びというのは、情報を受け取ることである。つまり、何らかの知に触れて、そこから自分に必要なものを得る、という行為だ。
これは、ものを食べるのと同じであって、書物は食べ物であり、そこから得られる知識が栄養のようなものだ。
しかし、考えることは、そのような「得る」行為ではない。
むしろその逆で、自分から発する行為なのだ。
これは、運動に似ている。頭脳を使って、エネルギィを消費する。
だから、考えるとお腹が減るし、また、考えると知識が欲しくなる、という意味での空腹も感じるだろう。
考えずに知識ばかりを吸収していると、知恵の肥満になる、と僕には見える。
この考えることと学びの違いというのは大きいと思っていて、例えば私の知り合いに資格マニアがいます。
テーブルコーディネーター、カラーセラピスト、フードコーディネーターなどなど、更にはインドまで行ってアーユルヴェーダの資格まで取ってきました。
しかし、彼女は取っただけです。
次はヨガのインストラクターの資格を取るそうです。
仕事はコールセンターでの電話取りとホステスをしています。
学ぶために一日中働いてそのお金でたくさんの学びをしています。
学ぶことで出来るような気になってしまうことがあります。
調理の専門学校に行っても現場では使いものにはなりません。
学んだ知識を使わなきゃ意味がないんですよね。
差別と過剰反応
ゆるキャラは、お酒の宣伝をしてはいけないそうだ。子供に悪影響があるという。
それだったら、お酒自体にクレームをつけたらどうなのか。
これは、差別ではないが、子供を守ってやる、という精神が、僕には子供に対する差別に感じられる。
同様に弱者を守ってやるんだ、とあまり過敏になると、それも弱者への差別を強調しているように感じられる。
「私は彼らを守ってやる」「彼らは守られなければならない」という立場が、そもそも差別から発しているものに思えてしまうことがあるからだ。
善意と差別って紙一重だなと思うんです。
例えば、「子供を守ってやる」と思って過保護に育てると子供は一人で生きていく力が低下していきます。
自分たちが死んだとき守ってもらうことが当たり前で育ってきた人間はどうやって生きていくのでしょう。
もちろん子供だから大人が守らなければいけない時もあります。
けれども過剰に子供を守ることが、後に彼らを苦しめることにもなると思います。
大体子供に悪影響というのなら、家庭で親がお酒を飲むのもダメなのだろうか?
私の家では両親ともにタバコを吸っていたが、私も姉も一切吸わない。
何がどう影響するのは人や環境次第だと思うから、まずはよく分からない悪影響よりも目の前にいる子供と海老のはらわたでも一緒に取った方が何だか幸せな気がする。
反論は理屈で
「反論したければ、理屈を述べる以外にない。意見は理屈であり、それに反対できるのも、やはり理屈しかない。
理屈がなければ、黙っているのと同じである。
SNS社会になって、誹謗・中傷が目に見える形になった。
この項目を読んで、確かに「バカ」「頭が悪い」「この親にしてこの子あり」とか「ブスのくせに」「太ってるくせに」とか全く理屈ではない中傷がほとんどなことに気付いた。
たった一言の理屈なき「意味分からない」とか「そういう言い方は良くない」という言葉が「とりあえず良いとは思われていない」という漠然だけど確実な不快感を相手に与える。
例えば理屈で反論しようと思えばかなり時間がかかるだろう。
データを集めて、さらに自分の意見をまとめて、更にはなぜ自分が疑問を抱いたのかという自分の疑念にも変わってくる。
反論は理屈でなければならない。
この一言が何だか嬉しかった。
反論でも意見でもやはり会話になるように理屈は必要だと思った。
面白いと思った3つの講義をあげました。
他に97講義あります。
99番目の講義「森博嗣と話そう」もすごい面白かった。
「私が馬鹿だからわからないだけなんですか?」
「馬鹿だと、どうしてわかったんですか?興味があるので是非教えてください」
とか。
別に特に変人というわけではないですが、感情論より理屈で話すのが好きな人は楽しいと思う。
日常の些細な変化を色んな現象に置き換えて話している講義が多いんですがその視野の広さをただただすごいなぁと思う。
なんてことない些細な日常を楽しむということがすべてに生きてくると思った。
「素直に生きる100の講義」とありますが、「素直」の部分はよくわかりません。
もしかしたら他の講義も読んでみたらわかるかも。
なんてことないエッセイとして楽しい一冊です。