≪内容≫
昭和20年3月3日、南太平洋・ニューブリテン島のバイエンを死守する、日本軍将兵に残された道は何か。アメリカ軍の上陸を迎えて、500人の運命は玉砕しかないのか。聖ジョージ岬の悲劇を、自らの戦争体験に重ねて活写する。戦争の無意味さ、悲惨さを迫真のタッチで、生々しく訴える感動の長篇コミック。
あぁ、兵士も私と同じ人間だったんだ・・・と思って何だか安心しました。
なんか、戦争の映画ってキレイ過ぎて同じ人間なのかなって思っちゃって。
そんな自分だから戦争がいまいち信じられないというか。
戦争になったら確実に非国民として殺されるだろうと思う。
「戦争だから仕方ないのよ」といって子供を納得させるお母さんとか
死ぬ間際に写真を見て、それから突撃するとか
船が沈むのを皆で合唱して待つとか
「御国の為に」と戦地に向かう子供と、それをバンザイで見送る大人とか
事実かもしれないけど、なんか納得出来ないなと思っていて。
なんだかキレイな所だけ見せられている気がして。
だって同じ人間なのに、時代が違うからって死の恐怖も、空腹も、得意・不得意もあったろうに全ての兵士が立派で全ての国民が不満を言わないみたいになってて。
だから、この本を読んで「あぁ私と同じような人が戦争中の日本にいたんだ」って思って、一人じゃないんだって思った。
実際、今の世の中でも「まぁまぁ仕方ないじゃない」といって明確な理不尽を受け入れる人がいて、そういう時に孤独を感じます。
人間でもキレイなとこだけしか見せない人って信用出来ない。
キレイでもなく、悲しみだけでもなく、水木先生が体験したありのままの島での日常が書かれています。
戦争の本や映画を見た時に「かわいそうに」とか「戦争の時代に比べたら・・・」という感情は私の中では正しくないです。
戦争も歴史も知ることしか出来ないのです。
知ることは経験ではありません。
経験していないことを理解するのは簡単ではありません。
水木先生が描いた作品と他の作品の何が違うか。
それは「命」の描き方だと思う。
戦争を題材にした作品は「命の尊さ」というテーマがほとんどだと思う。
「命」をかけて家族を守る。国を守る。
そうやって死ぬのが当たり前のように。
全ての兵士がそうやって死んでいったかのように。
けれど、この作品では「命」はあっけなく切り捨てられて行きます。
誰かが泣くでもない。
助けるわけでもない。
誰かを守るでもない。
当たり前だけど、戦う為には生きていなきゃいけません。
そして生きる為には食べなきゃいけない。
そういう当たり前の描写が当たり前になさ過ぎて、私は軍人や兵士を超人間のように思っていた。
ビンタ教育
その頃、日本軍は強いと言われていた。
私は、その秘密は「ビンタ」にあると、長年思っていた。
毎日、初年兵を何の理由もなく殴るのだ。
それが、戦争に行っても、明日死ぬかも知れないと言う時でも、
日本軍の趣味である・・・・・・
「ビンタ」は納まらない。
私は、常々、残酷の極みと思っていた。
毎日、殴られる生活をしていれば、何となくザンコクな事をしたくなる。
(ああ太平洋より)
今回「ああ太平洋」も併せて読んでいた。

ああ太平洋〈上〉―水木しげる戦記選集 戦争と平和を考えるコミック (歴史コミック)
- 作者: 水木しげる
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- 発売日: 2007/12
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ああ太平洋 下―水木しげる戦記選集 (戦争と平和を考えるコミック)
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「総員玉砕せよ!」でもひたすらに
「ビビビビビ」
「ビビビビビビッ」
「ビビビビン」
と殴られる丸山。
丸山だけでなく色んな兵士が理不尽にビンタされまくっている。
水木先生がコミカルに描くのであまりのビンタコマの多さにちょっと笑ってしまった。
というか、ネタだろと思う位、理不尽かつ何度もビンタのコマが入るのだ。
「初年兵整列」
ビビビビビン
「分かったなーっ初年兵とたたみはたたけばたたくほどよくなる」
「ありがとうございましたーっ」
ビンタして下さってありがとうございます。という教育です。
しかし丸山はやられっぱなしじゃありません。
肥溜めに落ちた足をめし桶で洗ってしまった丸山。
一応洗うが底についてある糞の部分を軍曹によそう。
・・・が軍曹にもう食べたからお前食えと言われて自分が食べるハメになった丸山。
みんながみんな文句は言っても従順だと思っていたからちょこちょこやり返す丸山が人間臭くて面白かった。
共同風呂で小便が普通の模様。
風呂でおならをする丸山に忠告する友人。
糞をこいたらビンタ通り越して軍法会議行きです。
食糧問題
魚とりにでかけたら、友人が魚を丸呑みしようとして鱗がひっかかって死んだ。
ご飯を食べにいったら「今更なんだ!」とビンタされて終わった。
敵の食糧庫にはたくさんの缶詰やチョコレートがあって、缶詰を歯で開けた丸山は「これだけかんづめ食えば死んでもいいよ」と言った。
上等兵はワニに喰われた。
そして、丸山はハナクソを食べている。
人間にはマメに栄養補給しないとダメな低燃費人間と、全然食べなくても元気という非常に燃費のいい人間がいる。
私は前者なので、丸山のように食に貪欲な人がそばにいたら相当助かるだろうなぁと思う。
「お前バナナのことになるとものすごく熱心だな」とあるように、丸山は逃げるし怖がるし、自分から先頭を行くタイプではありません。
この後、爆撃に襲われ逃げる際も丸山は「ちょっとまって下さい。たしかここにバナナがあったはずです。」と立ち止まります。
食べることは生きること。
玉砕は全員死なない
この「総員玉砕せよ!」 という物語は、九十パーセントは真実です。
ただ、参謀が流弾にあたって死ぬことになっていますが、あれは事実ではなく、参謀はテキトウな時に上手に逃げます。
(中略)
この物語では最後に全員死ぬことになているが、ぼくは最後に一人の兵隊が逃げて次の地点で守る連隊長に報告することにしようと思った。だが、長くなるので全員玉砕にしたが、事実はとなりの地区を守っていた混成三連隊の連隊長は、この玉砕事件についてこういった。
「あの場所をなぜ、そうまでにして守らねばならなかったのか」
ぼくはそれを耳にしたとき「フハッ」と空しい嘆息みたいな言葉が出るだけだった。
あの場所をそうまでにして・・・、なんという空しい言葉だろう、死人(戦死者)に口はない。
上司の死に場所の為に玉砕を命じられたり、玉砕から生き残ってもまた次の玉砕命令が下る。
玉砕命令が出てるのに生きていれば自決する中隊長。
さもなければ、敵前逃亡とみなされ、殺されなければいけない。
私は戦後20年くらい、人にあまり同情しなかったんです。なんといったって、戦争で死んだ人間が一番かわいそうだと思ってたからです。
戦死した人間は、ものすごく生きたかった。
死にたくなかったんです。それがよく分かる
(あぁ太平洋より)
玉砕と聞くと、全員が死んだのだと思っていた。
事実は違うらしい。
映画では立派な上司、現実にはどれ位いたんだろう?
今生きるのが辛くて死にたい人に「戦争中では生きたくても生きられない人がいたんだ、だから死ぬな」というのは少し違う気がするが、自分が生まれ、生活している国の歴史を知ること、戦争によってこういう人生を送った人がいるということを知ることはした方がいいと思う。
そしてキレイで刺激的な内容ばかりを見るのではなく、事実を忠実に表現しているものを読むのがいい。
日常の刺激なんてものはほんの少ししかない。
平凡と言ったら語弊がある、やはり戦争は私にとっては非日常だから。
それでも、戦っていない時の生活、食事、お風呂、気持ち、ビンタ・・・そういう生活面での戦争を知るのも大事だと思う。
人はザンコクなことをされれば何となくザンコクなことをしたくなるのだ・・・