深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

妖怪アパートの幽雅な日常①/香月日輪~児童書、侮るべからず!~

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 ≪内容≫

夕士が高校入学と同時に始めた、憧れの下宿生活。幼い頃に両親を事故で亡くしたため、早く独り立ちをするのが彼の夢。ところがそこには、ちょっと変わった、しかし人情味あふれる「住人たち」が暮らしていた…。

 

人間関係に悩む私に友人が薦めてくれた本。

 

友人が「児童書なんだけど・・・」と言ったとき、「なんだ、児童書か・・・」と思ったあのときの私。

自分で世界を阻めていたんだと今気付いた。

そして気付けて良かった。

 

この本をきっかけにもっとたくさんの児童書を読みたいと思った。

 

 

常識が崩れて世界が広くなる。

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1巻では主人公・夕士妖怪の存在を知り、自分の常識が壊れ、世界が広いことを知る巻です。

妖怪アパートでの暮らしで、夕士は毎日が驚きの連続です。

そんな夕士に住民のひとり、龍さんはこう言う。

 

苦しみも哀しみも、物事のたった一面にしか過ぎない。ましてや君はまだ若いんだ。現実はつらいばかりじゃない。君さえその気になれば、可能性なんて無限にあるんだ。考え方ひとつで世界は変わるよ。君の常識があっという間に崩れたようにね。

 

自分を縛っているのは自分なのではないか。

自分の常識とか当たり前が、見えるものを見えなくさせて、見たくないものを見なければいけないものにしているんじゃないか。

 

妖怪なんて、非日常で非現実的。

だけど、見えちゃうんだ、ほんとうにいたんだ。

だったら、今までの常識は捨てて目の前の現実を信じよう。

 

目の前の現実を受け入れたら、世界は昨日よりずっと広くなる。

 

クリとシロ

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クリは母に虐待され殺された幽霊で、シロは生前のクリの面倒を見ていた犬

母がクリを殺したとき、シロは母親を噛み殺した。

そしてその場でシロは近所の住民に殴り殺されてしまったのだ。

 

そして死してなお、クリを殺しに母は来る。

思い出したかのようにふらっとクリを殺しにくるとき、妖怪アパートに住民と、霊獣である茜さんが全力で守る。

夕士はその光景を見て、事故で亡くした両親を思い出し泣き疲れて眠ってしまう。

 

どうにもならないことがあって、自分の力ではどうしようもないけれど、いつかうまくいくと信じて、自分の日常に受け入れる。

悲しいことは、悲しんでいいんだ。

腹が立ったら、怒っていいんだ。

それが、そうしたところでどうにもならなくても。

そうすることによって、それは自分の世界の一部となって「生きる」んだ。

その分だけ、確実に自分の世界は広がるんだ。 

 

生きていると、どうにもならないことがあって、自分の力ではどうしようもないことがある。

そのたびに自分を無力に思ったり、もう何も出来ないとしゃがみ込んだりしてしまう。

悲しみも怒りも、それを出したところでどうにもならないじゃないかって閉じ込めてしまう。

 

でも、そこで「うにもならないこと」、「自分の力ではどうしようもないこと」があることを受け入れれば世界はぐっと広がる。

 

閉じ込めた感情は消えるわけじゃなく、いつか開く扉を待っている。

いつか、声や涙になって、血肉になる時を待っている。

 

たとえ、現実がどうにもならなくても悲しいときは悲しんでいい。

腹が立ったら怒っていい。

そんな当たり前のことを、今教えられた気がする。

 

会話を議論にして

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学生寮が出来て、妖怪アパートを出ることになった夕士。

少しさみしさを感じながらも新たな生活に馴染んでいくかと思えたが、何か満たされない思いをもんもんと抱える夕士だった。

 

友だちもいる。学校も寮生活もなんの問題もない。クラブに、バイトに、一日一日は確かに充実してるし楽しい。だけど、その日常の隙間でふと我に返ると、なんだか自分が見えていないような気がした。

 

そこで夕士は自分の気持ちをありのままクラスやクラブのみんなに話してみるも、妖怪アパートでの会話のようにはいかなかった。

 

話はなかなか通じなかった。

俺の本当に言いたいことを表現するのが難しいこともあるけど、みんなと話していて気づいたことがある。

「議論ができない」んだ。

一つのテーマを掘り下げて考え、意見を言い合うことができない。話がすぐに終わってしまい、すぐに次の話へ次の話へとずれていってしまうんだ。俺はすごく戸惑ってしまった。

でもみんなは平気というか、それが普通みたいだった。

 

その後に続く、「みんなとは、楽しくてわかりやすいことだけをしゃべっていればいいんだろう」は悲しいけれど、ほんとにそう。

 

どこのレストランが美味しかったとか、どんなテレビが面白かったとか、どこに旅行に行って楽しかったとか、映画見て怖かった、楽しかった、とか。

 

真剣な話題はタブーで「ナニイッテンノ?」みたいな空気になっちゃう。

映画ならどこのどんなシーンでどう思ったのか。

旅行に行って、どんなところで感動したのか。

それはなんで感動したのか。

 

そういうちょっと掘り下げて聞いてみると「え~わかんないよ。なんとなく。」みたいな返答が返ってくる。

 

これは、親友とか気心しれた相手でないと難しいのかもしれない。

けれど私は夕士と同じで、そこまで仲良くない人にでも掘り下げた話題を振ってしまうので、夕士のもんもんと同じもんもんを抱えてた時がある。

なんだか上っ面だけの会話に未来が見えなくて。

 

 

夕士は妖怪アパートに戻り、このもんもんは消えていきます。

 

なぜ、妖怪アパートの住民は議論ができるのか。

 

それは、一生懸命生きているからです。

 

夕士の友人が一生懸命生きてないというわけではないですが、日々に流されて生きる者と、自分で選択して生きる者では確実に違いがあります。

 

妖怪アパートの幽雅な日常では、「生きる」ことの基本である日常に、たくさんのヒントがあって、寄り道もあって、奇想天外なこともあって。

 

「日常」をどう生きるか。

なんだか当たり前だけど、当たり前にしちゃいけないということをさりげなく示唆してる部分がこの本にはたくさんありました。

妖怪アパートの幽雅な日常(1) (YA! ENTERTAINMENT)

妖怪アパートの幽雅な日常(1) (YA! ENTERTAINMENT)

 

これを児童の時代に読んでたらどんな大人になったんだろう?