≪内容≫
古本屋が持ちこんだ魔道書に封じられていた妖魔たち。夕士はこの、かなりズレてはいるが憎めない妖魔たちを使いこなすべく、魔道士修行に励む一方、バイト先でコミュニケーション不足の大学生や自殺未遂の少女に出会う…。
普通の学生として過ごす自分と、妖怪アパートとプチ・ヒエロイゾンという特別な空間を持つ自分。
その両方のバランスをとることを考え出す夕士。
妖怪アパートの幽雅な日常~夏休み編~が始まります!
4.夏休みは試練のとき
肌で感じ、血肉にする
プチ・ヒエロイゾンを使うには力がないと自分の命が削られてしまう。
その為に修行に励んでいた夕士だが、レベルアップした修行はどうにも調子が出ない。
大好きな食事も喉を通らなくなりモヤモヤを抱える夕士。
そんな夕士に何か助言をするでもなく、大人たちは自分の昔話をし始める。
「やっぱり色々迷ったし悩んだし、バカなこともずいぶんやったぜ。」と告白したのは画家。子どもの頃から行け行けドンドンな人生だと思ってた。
「"学校のガラス窓を壊して回った"し"盗んだバイク"でも走ったしな」
「尾崎豊ね」
秋音ちゃんが笑う。
「もっとも、中坊の頃の話だがな。高校に入った時には、迷いはなかったね」
「それはどうして?」
「絵に出合ったからさ」
「ああ・・・・」
「もちろん、描けない時もあったし、日本画壇に息詰まりを感じたり、海外へ出た頃にもいろいろ苦労はあったけど、俺は絵でやっていくんだと覚悟を決めてたからな。悩みも迷いも苦労も、今じゃ全部いい思い出だ。今、画家でやってけてなくてもな」
悩みや迷いや苦労が結果に繋がらなくてもいい。
大事なのは覚悟を決めて行動すること。
悩みや迷いや苦労を肌で感じてこそ、経験値として自分に蓄積される。
その経験は目には見えないけれど、言葉には宿る。
生きた言葉というのは、悩みや迷いや苦労を血肉にした人にしか宿らない。
夕士を囲むアパートの住人はほんとうにいいことを言うなぁと思うけど、実際そういう人は結構いる気がする。
夕士のように、何気ない会話から自分の現状と結びつけて新たな道を見つけられるかだけの違いだと思う。
たくさん寄り道して、まわり道をくり返して。
それは一見無駄なような気もするけど、その分キレイな景色や知らない道に出会ったりして、昨日までの自分の世界がアップデートされてるような。
そうして、どんどん世界が広がっていく。
迷うから広くなる。
迷うたびに必ず出口があることを知れば、怖くなくなる。
なぜ、アパートの住人が大らかなのか。
それはたくさん迷って、そのたびに出口を見つけられたから。
出口が必ずあることを知っているから見守ることができる。
楽≠楽しい
夏休み。
運送屋のバイトに新たなバイトが入ってくるも、何やらオッサンとバイトには大きな溝が・・・。
「遅刻は平気でするくせに、終わる時間には正確だったよなあ」
「ワハハハハ!そうだったそうだった」
「やりかけの仕事があんのに、ハイ、終わり!だ。バイトですからって。じゃあおめぇ遅刻すんなよって言ったら、遅刻した分バイト代引かれるからいいじゃないですかってこうだぜ!?」
(中略)
「楽でいーねえ」
社長が皮肉っぽく言った。でも確かに楽かもしれないけど・・・。
「でも、それって楽しいんスかね?」
と思わず言った。社長や専務やオッサンたちが、いっせいに俺を見た。
「あ、いや。楽なことと楽しいことは違う・・・・っしょ?」
俺だって別に、このバイトをスキップするほど楽しくやってるわけじゃない。でも仕事はキツくても、俺は職場の人間関係に恵まれている。これは重要なポイントだろう!?
身体を動かすことも好きだし、金を稼ぐのは将来のためだっていう目的もある。自分のやってることが納得できるし、充実しているんだ。
楽と楽しい。
同じ漢字から成り立つ言葉なのに、この差は生と死くらい離れている気がする。
「情報」が溢れているからイケナイっていうんじゃない。
その情報に流されることがいけない。
「みんなやってるからいーや」「みんながこう思ってるからこれが普通なんだ」と、自分の価値観を築かないで、他人の価値観に委ねることがいけない。
今の若者がわからないというのはこういうことだと思う。↓
「あいつらはな、表情がねぇんだよ。目の色も全然変わらないんだ。こっちが何か質問するじゃねぇか、例えば、バイトして何したいんだとか、今までどんな仕事したか、とか。あいつらな、何を答えても同じ顔だった・・・!」
社長の話を、オッサンたちも興味深そうに聞いていた。
「バイトした金でDVDを買いたいんだって言う顔も、飯屋でバイトしてたけどすぐにやめましたって言う顔も、仕事がんばりますって言う顔も、みんな同じでな。DVDを欲しいって顔じゃねぇし、バイトをすぐやめてバツが悪いって顔でもねぇし、まして、がんばりますって顔じゃなかったぜ」
専務がフンフンとうなずいている。
「ふつう、目の色や顔に表情はあらわれるもんだ。チラチラでもな。口が達者でも、ダメな奴はダメな色があらわれるもんなんだ。あいつらは・・・それすらなかったんだ」
社長は、みんなの顔を見渡してから俺を見た。
「あいつらは、普段どうしているんだろうなぁ、夕士?楽しいことも、苦しいこともないのかな?」
「・・・・・・・」
「それは楽かもしれんが、楽しかぁないよなあ」
昔、単発の音響設置のバイトをしてた事がある。
私の中では人見知り克服の修行を兼ねた仕事という位置づけだった。
現場ごとに会う人も人数も違うし、やることも違うし、三時間待機で30分の搬出で終わった時もある。
待機時間だけで終電が来て、実質労働せずにお給料をもらったこともある。
その仕事で私は色んな人を見て勉強になったなぁと思う。
やっぱり、夕士のところにきたバイトのように、言われたことしかやらない、自分から質問しない、動かない、無断遅刻、欠席をする・・・という人はいた。
そしてそういう人はやっぱり何を考えているのか分からなかった。
単発のバイトは補助的な役割なので、見ているだけで役に立てない時もたくさんある。
そういう時に「出番ないでしょ」と言って、他人が一生懸命働いてる横で眠りこける人や後ろの方で下を向いてただ立っている人がいる。
そういう人を見て直接怒るでもなく「ありえねーよなぁ」と無視する本職の人たち。
私だってやることがないのだけれど、ボーっと時を待つのがつまらないのでひたすらに仕事を見ていた。
これはどうやって設置するんだろう?
次はなにをするんだろう?
あれ?これってネジ足りないかなぁ?
無言で進んでく本職の人にひたすらついてく。そして見る。
たまに出る「ネジ」とか「電ドリ取って」に「はい!」と答える。
そうするとだんだん「あれ持ってきてー」「これはこうやって使うからやってみ。俺はあっちからやるから、ここから始めて」という指示が出るようになる。
たかが一日のバイト。
そのバイトに技術を教えてもその日限り。
「1日ボーっとつっ立ってればいい」「どうせ一日でいなくなるバイトに一生懸命になってもな」「とりあえずみんなについてけばいいや」「使えないやつは無視しよう」
こう思う人もいれば
「自分に出来ることをやろう」「この一日で出来る限りのことを覚えよう」「一日しか一緒に仕事が出来なくても一緒にがんばろう」という意識の人もいる。
後者の意識の人が集うチームというのはすごく生き生きしているのだ。
どんな意識でも貰えるお金は時間給で皆同じ。
だけど、その時間の輝きは天と地ほどの差がある。
「このバイト立ってればいいから楽じゃん?」と言った大学生の顔は全然楽しそうじゃなかった。
「日本語たまに分からないけど、がんばりたいです」と言った中国人の男の子はすっごくキラキラした顔だった。
彼は日本語の指示に混乱して怒鳴られたりしてたけど、周りが「バッカヤロー」っていう声にはなんだか愛があって、出来たときには背中を叩いて「やるじゃん」と言ったり
、またそれに照れたり、たくさんの日本人がいるのにその子に指示をすることが多くて、あぁ愛されてるなぁ~と思った。
それは、彼の戸惑いも、嬉しさも、ちゃんと表情として相手に見えていたからだったんだろうと思った。
楽はもしかしたら一番の苦行なのかもしれない。
私にとっても、楽は決して楽しいことじゃない。
ロボット化が進んで楽に楽に生きていける時代になってきた。
果たしてこれでいいのかな?
時代に流れはあるけど、そこに流されない。
流されても、意思は明確に。
さて、運送屋に残ったふたりのバイトがいます。
彼らはこの運送屋でコミュニケーションを身体で学んでいきました。
「真夏の熱気の中で、次から次へとやってくる荷物をさばいて汗だくになって、そこでおごってもらった冷たいコーヒーに二人が言った『ありがとう』は、身体の底から出てきた言葉なんだよ~。真実の言葉だよね~。そして、コーヒーのうまさに思わず笑う・・・。これも、真実の笑顔だよね~」
「言葉は身体がともなってなきゃダメだよねー」
(中略)
「今は、何も知らない子が増えている。情報がありすぎて、知ってるつもりになってるだけで、実はなぁ~んにもわかっていない子。その子たちは、学び方も知らない。学ぶ前に膨大な情報の中に放り出されちゃうからね。でも情報だけはあるから、そこからチョイスする。それで自分が作られたと思っちゃうんだネ。ものすごい勘違いだよね。本当の自分というものは、そのバイトの子たちのように、少しずつ体感して、積み重ねて積み重ねて作ってゆくしかないものなのにネ」
本当の自分というものは、そのバイトの子たちのように、少しずつ体感して、積み重ねて積み重ねて作ってゆくしかないものなのにネ
自分は自分だけど、自分を作るのは生身の身体で感じることなのだ。
情報に選択を迫られるのではなく、自分の足で選んでいこう。
情報はなくならないし、必要だ。
だからこそ、膨大な情報を前にしても溺れないような力をつける必要があると思う。
自分の中に広い世界を
ある日バイトで配達に向かったマンションの屋上にひとりの少女がいた。
その少女はなんと、自殺しようとしていたのだ。
それを止めた夕士に、少女・有実は興味を持ち、夕士の向う外国人クラブの集会に一緒に行くことになった。
そこで有実は新しい世界を見つける。
「 エールのみんなの話を聞いてて、そう思ったの。あっこれが本当の"大人の話"なんだって。家族でアメリカ横断した話、海のゴミを拾ってる話、・・・戦争の話。大変な話もペットの話も、全部スーッて頭に入ってきて、ウンウンって感じ。それから?それから?って感じ。
もっと聞きたいよ。もっと何か話してよ!って感じ」
(中略)
「それはどうして?」
「それはきっと・・・エールのみんなは、世界が広い人たちだからだと思う」
「世界が広い人・・・・」
「自分の中に広い世界を持ってる人は、ペットの話をしてても、持ってる世界の広さがこっちに伝わってくるんだ」
詩人がそうだ。龍さんがそうだ。長谷も、アパートのみんなも。その話しぶりから、話の内容から、世界の広さが伝わってくる。
「あたしもそうなりたい!」
「ああ・・俺もさ」
そうなりたい。広い広い、果てしなく広いこの世界を生きていくため。
それに負けないぐらい、広い世界を持った人間になりたい。
大人びたファッション、化粧、危ないクラブの友達、ドラッグ・・・そんな生活の中で、夕士と出会い、外国人クラブのみんなとの会話で本当の大人とは何か、本当になりたい自分とは何かに気づいた有実。
自分の中に広い世界を持つ。
自分の生活だけじゃなくて、世界では色んなことが起きてる。
今知っていることの何倍も何十倍もの知らないことがある。
ということを知るということ。
そのことについて真剣に考えてみること。
目の前のことだけに囚われない大きな視野を持つこと。
私もそうなりたい。
広い世界を持った人間になりたい。
もっと聞きたい、もっと知りたい。
なんだか妖怪アパートを読んでると、自分も子どもになったような気がするんです。
自分の中の無垢な部分が栄養を吸っているというか・・・
あ、無垢なとこあったんだーという、新たな自分の発見もあり。笑
妖怪アパートの幽雅な日常〈4〉 (YA! ENTERTAINMENT)
- 作者: 香月日輪
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/08/23
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本当に考えさせてくれます、妖怪アパート。