≪内容≫
雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かなくなっていた男、その傍らに落ちていた黒い物体。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになるのだが…。TVで流れる事件のニュース、突然の刑事の訪問―次第に追いつめられて行く中、西川が下した決断とは?新潮新人賞を受賞した衝撃のデビュー作。単行本未収録小説「火」を併録。
なぜこんな事思ったの!?と思うはなし。
ただ、中村さんは色んなインタビューを受けていたり、メディアにも出ていて作品について話してくれているので、それを聞くとなるほどなぁ~とも思います。
ほんとは、作者がどんな気持ちで書いたかじゃなくて、それを読んで自分がどう思うかだけが必要だと思うんですけど、何かどうにも掴めないので中村さんのインタビュー読んでしまいました。
生きている?生かされている?
この話とにかく「なんかわからないけど」とか「どっちでもいいけど」みたいに主人公がすっごいふにゃふにゃなんですよ。
「OOが何か言った」とか「聞いてなかった」とかね。
自分は笑っているつもりはないのに「何笑ってるのよ」とか言われてるし、自分が「こうすれば怒られるだろう」と思ってする行動も相手は気にも留めてなくて、主人公とその他の世界にズレがあることが分かる。
精神のズレは明確だけど、肉体のズレは誤魔化せる。
とりあえず都合が悪いときは女を抱いたり、つまらない話を聞いているフリして寝てたり、帰りたくても合コンに付き合いで行ったり。
本人にとって自ら望んで「生きている」のか、生まれちゃったからとりあえず社会的に「生かされてる」だけなのか、そこがとても曖昧に思えた。
私はこういう人間ではないし、この気持ちに近づいた時は「うつ病かも・・・」と不安になるレベル。
自分が何をしたいとか何に喜びを感じ、何を不快に思うかって差はあれど誰しもがうっすらでも分かっていると思うんですね。
彼は銃を見つけるまで、別に誰かを殺したいとか銃が自由に持てるアメリカに焦がれていたわけではなかった。
そういう意思らしい意思は何も持っていないように描かれている。
だけど、銃を見つけたことで彼の世界は変わる。
私はただ、見つけたのだと思った。
人が例えば絵を描いたり、音楽をつくったりすることに喜びを見出すように、仕事や女、薬物や宗教などに依存するように、私は夢中になれるものを発見したのだと思った。
私にとっては、それがただ拳銃であったことに過ぎなかった。
世の中には中村さんの本に救われている人がいます。
その人たちがどこの場面でどんな描写で救いを感じるのかは分からないけれど、自分が生きてるのか生かされているのか、何もかもが退屈で興味もわかない毎日って、私にとってはすんごく辛かったんです。
本気でうつ病かもしれないって思って、何をしても誰が何を言ってもジメジメしていて自分で自分が分からなかった。
私は半年くらいで立ち直ったけど、こういう気持ちでいる人がいたらとっても辛いと思う。
人ってどんっっっっっなに小さくても希望がなくちゃ死んでしまうって思うんですよ。
物に支配されている感覚
そして、私は拳銃を使っているのではないのだ、と思った。
私が拳銃に使われているのであって、私は、拳銃を作動させるシステムの一部に過ぎなかった。
私は悲しく、そして、自分が始終拳銃に影響され続けていたことを、思った。
人がつくったものに、私は始終影響され、私の人生というもの、私がそれに重さをおいてなかったとしても、私の生活を、犠牲にしていたことを思った。
とても悲しく思った。
ここはちょっと「人間失格/太宰治」を思い出した。
興味を持たないとか、深く考えないとかして自分を蚊帳の外に追い出しても、結局犠牲になっているのだ。
彼が深く考えることを辞めて現実から逃げても問題は何も解決しないし、その時生まれた黒い感情も消えたりしない。
「銃」に出会ったことで、彼の内に閉じ込めていた悪意が花開いたんだと思った。
彼の悪意を体現した「銃」。
この銃と向き合うことで、彼は悲しみも感じたけど自分が存在していることを噛みしめる様になった。
銃と決別することを決めた主人公だったが、捨てにいく途中で悪意に身を滅ぼすことになる。
人間には悪意と善意があって、多くの人間は善意を選んで生きている。
善意が連なって社会が出来ている。
だけど悪意というのは必ずどこかに潜んでいて、それを選択することも出来るのだ。
彼は自分が閉じ込めた悪意と出会い翻弄されるも、最後には善意を選んで生きていこうと思った。
それなのに最後悪意を選んでしまったのだ。
もう少しで悪意から決別出来るはずだった。
逃げずに向き合った悪意から。あともう少しで。
火 Hee
これね、映画化されていたようなんですよ!
超ショック。超観たかった!!
そしてこれも意味わからんと思った。
けど、予告編を見てなるほどなぁ~と思うところがあって。
桃井さんが「だって火は自分で勝手に燃え広がっていくからあたしじゃ止められないもの・・・」と言うシーン。
まさにこの言葉こそ「火」だと思った。
ざっくり説明すると
彼女はトラウマとか関係ないし、先生は偽善者だし、あたしは売春したけど本当は嘘でそんなことしていないし・・・でもあたし生きてていいですか?
って感じです。
意味分からないでしょう?
この話し自体には意味もなくって、彼女の話が嘘なのか本当なのかとか、なぜ彼女がこうなったかとかそんなことはどーでも良くって。
彼女の人生は彼女がカーテンに火をつけた時からずっと消えずに燃え広がっているんです。
負の連鎖を止めたくても一度つけた火は止まらない。
家族が焼け死に、施設ではいじめを受け、痛いセックスをして、売春して、娘も奪われて、借金地獄で・・・・それでも「まだだ。」って声が聞こえる。
まだまだ火は燃え広がる。
それでも、それでも
わたしは、生きていても、いいでしょうか。
圧巻。
何にも言えねぇ・・・と思いました。
誰がその火を消せるだろうか、本人にだって消せないだろう。
それでも生きた方がいいと、ずっと火から逃げ続けろというのだろうか。
燃え広がり続ける火は消せないなら逃げるか死ぬかしかない。
ほんとうに1ミリも救いなく感じました。
だって、火をつけたのは彼女自身なんだから。
すげえ作品に出会っちまった・・・