≪内容≫
第3次世界大戦から38年、世界は新たな繁栄をむかえつつあった――。ネオ東京を舞台に繰り広げられる本格SFアクションコミックの金字塔!
映画で見てからず~っと結局AKIRAってなんなんだーって思ってました。
とりあえず↑の記事で疑問だったことが解決したので、過去の自分の疑問に答えようと思います。
私が感じた疑問は
AKIRAってなんなの?
主役って誰なの?
テツオはどうなるの?
シワシワの子供たちなんなの?
政府は何をしようとしてるの?
でした。
答えは
①AKIRAってなんなの?
→集合意識の擬人化
②主役って誰なの?
→金田とテツオ
③テツオはどうなるの?
→死ぬ
④シワシワの子供たちなんなの?
→過去の実験体の生き残り
⑤政府は何をしようとしてるの?
→ネオ東京の殲滅
・・・と思います。
映画版は漫画の1巻のあとはほとんど一気に最終巻になってます。
映画は映画でおもしろいけど、やっぱり漫画は詰まってますね。
特にテツオとカオリの関係は漫画版とはかなり違います。
集合的無意識と宇宙
「宇宙は私の一部!?」と言ったのは銀魂の神楽ちゃんでアル。
その前に銀さんが「お前は宇宙の一部であり、宇宙はお前の一部」的なことを言っているのですが。
さすが銀魂。ギャグマンガでありながら幅広いです!
AKIRAはこの「お前は宇宙の一部であり、宇宙はお前の一部」が筋なお話だと思います。
※画像は映画版AKIRAの記事と同じです。
私達は生きている中で、
≪何時に起きる≫とか
≪何の仕事につく≫とか
≪何を食べる≫とか
そういう選択を常にしていて、それを自分の意思で行っていると思っていると思う。
だっていちいち誰かが「何時に起きたまえ」とか言うわけじゃないし。
だけど、それらは全て選ばされていると考えることもできるわけです。
≪何を食べる≫かについて、コンビニで選ぶ、ファストフードを探す、自炊する。
何にしたって、そこにあるものから選ぶしかないんですから、そこにあるものという限定された中からしか選ぶことが出来ないのです。
私たちは常に進化しています。最近のニュースではこんなものがありました。
だけど、それは私たちが選んだわけではありません。
記事にもあるように、なぜこのような進化が行なわれているのかは当人である日本人としても理解できていない。
そこで一つの考えが生まれる。
「自分たちで選べる進化の流れがあるのではないか?」
そこから生まれたのがシワシワの子供たちや鉄雄です。
彼らがどのような進化を経てあのような力を持ったのか、シワシワの子供になったのかは漫画版では19号であるミヤコ様が解説しています。
しかし、自分たちで選んだ進化の流れならば自分たちでコントロールできるはず、というのは間違いでした。
28号であるアキラが東京もそこにいた学者たちも消してしまったのです。
彼らはどこにいったのか?
これは私の推測ですが、アキラの中に取り込まれたのだと思います。
シワシワの子供たちであるキヨコやタカシは、瞬間移動や予知能力を持っています。それが意味するところは宇宙とのアクセスだと思うのです。
そしてアキラの能力。
それはアキラ自身が宇宙であり、集合的無意識の貯蔵庫としての形骸、つまり依り代といったところでしょうか。もしくは媒体。
鉄雄の記憶はアキラの中にありました。
鉄雄は触発された能力開花により、アキラの頭の中を覗こうとして、自分の封印した記憶に出会う。
能力を持たない人間はアキラの頭の中を覗くことは出来ませんが、たぶん全ての人間の記憶がアキラの頭の中にあるはずです。
つまり、アキラの中に取り込まれたというのは、自分の記憶へ還ったということでもあります。ここら辺はエヴァンゲリオンの人類補完計画、LCL化と似たようなものを感じます。
ちなみにLCL化=生命が生まれる前の混沌とした状態(ピクシブ百科事典より)となっているので、=宇宙と私は考える。
では、なぜ鉄雄が選ばれたのか。
能力開花は全ての人間に起こるわけではありません。
主人公の金田なんて、宇宙に吹っ飛ばされようが、他人の意識に吹っ飛ばされようが無傷で帰って来ます。
この金田と鉄雄。
なんとな~くナルトとサスケ感を感じる。
そもそも「自分たちで選べる進化の流れがあるのではないか?」と思ったのはなぜか。もちろん、現状の不満を回避するためだったのではないでしょうか。
壊れていく鉄雄やネオ東京、そして死んでいく仲間たち、シワシワの子供たちを見て金田は「これが選びたかった進化なのかよ!」と憤慨します。
確かに、一般の人間からしたら意味が分からず、何のメリットもない進化であり実験だったと思うでしょう。この実験の生き残りはわずかで、大半は命を失うか、精神に異常をきたすか、目覚めても障害を伴い異形の姿となったのだから。
しかし実験の生き残りである、シワシワの子供・キヨコは言います。
でも・・・仲間が出来たわ・・・
言葉に頼らない心の話が出来る・・・
本当に理解し合える仲間・・・
人が人を理解したり、仲間になるのには、言葉が必要です。
文字通りの言葉であったり、ボディランゲージであったり、方法は様々ですが、とりあえず黙ったままではコミュニケーション出来ない。
おそらく大半の人間がそこに疑問は持たないのではないでしょうか。
例えばヤンキーが殴り合いで心を通わせるように、女子が手紙交換や交換日記でお互いの深みに入り込むように、私たちは何かを媒介して人と通じ合う。
一見何も不思議ではないのですが、それをするには一つだけ必要なものがあるのです。
それは「自分を晒すこと」です。
自分を晒すことは=相手を信じることでもあります。ちょっとずつでも自分を相手に見せていくこと。
最初はガンつけあいだった喧嘩が殴り合いになる。
手紙交換から始まった関係が一緒に休日を過ごすようになる。
鉄雄は金田たちと一緒に居ても満たされずにいました。
それを直接金田に言う事も出来ず、もんもんと過ごしていたところで事故に会う。
彼が難民の少女・カオリを頼ったことからも、彼がキヨコの言う「本当に理解し合える仲間」を求めていたことが分かります。
じゃあ能力開花しない人間は求めていないかというとそうではなく、自分軸で相手を本当に理解し合える仲間と認識しているのだと思います。
ナルトがどれだけサスケから「仲間じゃねえ!」と否定されても、仲間だと思い続けたように、答えを自分の中から生み出すことが出来るのです。
ラストで金田が言うように、「アキラはまだ俺たちの中に生きてる」。
今あるものは、過去にあったものの上に成り立っている。
ビルの上に新しいビルが立っていく世界で、今生きている金田たちとともに走る死んでしまった仲間たちがいる。
人が死ぬのは肉体が滅んだ時ではなく記憶から失われた時だという言葉がある。
そう考えると、私たちは何一つ失っていないんじゃないかと思えてくる。記憶がなくても、物体がなくても、誰かが受け継いだ意識、脈々と受け継がれる遺伝子、そういったものは私たちの目に見えないところで生きている。
この大きな流れの一部であるという考えはこの本で分かりやすく書かれていました。
すでにある。