《内容》
誰にも「助けて」と言えない。
圧倒的リアリティで描かれる貧困女子の現実。
貧困女子の話はなんと4年前に読んでいた。
この記事を書いた4年前の7月は私も契約社員だった。更に本作の主人公の水越愛のように大卒でもなく高卒で、雨宮のような公務員の友達もいない。共通点があるとしたら、恋人がいないことと、正規社員ではないということだけだ。
私も水越愛と同じように日雇いを経験し、今は正社員として働いている。私は自分と水越愛の差分を考えてみた。彼女が持っていて、私が持っていないもの。私が持っていなくて彼女が持っているもの。
それは大卒という学歴と頼れる家族の2つだった。
人に頼る力
「生きてたって、どうしようもなくない?お金もなくて、住むところもなくて、できることは何もないんだよ。ホームレスのおじさんたちみたいに、駅や公園で寝るなんて、女にはできない。そこまでして、生きてる意味もないでしょ?」
主人公の水越愛は就職活動がうまくいかず、契約社員として文房具メーカーに勤務していた。三年働けば正社員になれる約束だったが、業績悪化に伴い約束は反故にされてしまう。会社都合で失業保険もすぐおり、そのお金で家賃を払い就職活動をするが、全然受からない。そのうち家賃を払えなくなりホームレスとなり漫画喫茶で生活するように。連絡の取れなくなった愛を心配し、大学の同級生の雨宮が毎日連絡するが、愛は雨宮に怒られたり軽蔑されるのが嫌で誰にも言わずに姿をくらませてしまうのだった…。
愛は最初は漫画喫茶のナイトパックを使いながら日雇いでお金を貯めてこの状況から抜け出そうとしていた。だが、漫画喫茶で出会ったマユに教えられた出会い喫茶の方がコスパよく稼げることを知り、日雇い労働などやってられなくなってしまった。
出会い喫茶ではただお茶したりカラオケしたりするだけの”茶飯”から、男性とホテルに行く”ワリキリ”もある。愛は絶対にワリキリはしないと決めていたが、仲良くなった一人の男とホテルに行ってしまう。
自分のことや出会い喫茶にいる女の子たちのことを考えると、何が正しいか、わからなくなる。男の人からお金もらい、それで生活ができるのだから、いいんじゃないかと思う。ホストクラブに通ったり、バンドやアイドルの追っかけをしたりしている女の子たちは、もらったお金で好きな男の子に会えて、幸せな思いをしている。でも、同じ額を違う仕事で稼げれば、もっと幸せになれる。
本書は学歴もあり、真面目で、ビジュアルも普通なごく一般的な女性がどのようにしてホームレスになったのか、というお話です。
愛は母と死別しており、父親は金だけを愛たちに渡して外で別の家庭を作っていた。愛の母が闘病の末亡くなり、一人で暮らすようになった家に、父親は母親と息子を引き連れて戻ってきた。愛は同居人で家族ではない。愛が帰ってきた時、三人はハワイ旅行に行ったりしている。戸籍上は家族であるが、愛にとって困ったときに頼れる家族では決してなかった。
私には学歴はないが、頼れる家族がいた。金銭的に家族を頼ったことはないのだが、いざという時に頼れる、という環境があるのとないのとでは物事の捉え方が違うのではないかと、本書を読んで感じました。
ですが、愛に雨宮がいるように私にも一人、頼れる友達がいます。結果的に愛は雨宮によって貧困生活から抜け出すので、この物語のトゥルーエンドの必須条件は「誰かに頼る」なのだと思います。
「人に頼る力」って、誰かに教わるものでもなくて、どこで身につけるかもわからない。この力こそオリジナルの頂点って感じがします。だって、誰かに言わされてるお願いってその人の本心じゃないことがすぐにわかって逆に不信感を生むから。
今日泊まる場所をくれる男の人を神さま、と言う。でも、それは神さまなんかじゃなくて生身の”男”だ。愛は最後の最後に幻想を力づくで破られる。読者である私たちは愛を通して今日もどこかで神さまを待っている人に手を差し伸べられる人間であるか自問自答を繰り返すだろう。彼女たちの声を無視しないために、一体何ができるだろうか。