《内容》
至極のエッセイ45本に加え、文庫版の「おまけ」9本&「あとがき」を収録。あなたの心の中でうごめく「曖昧な感情」に、「曖昧なまま」そっと寄り添ってくれる沢山の言葉たち―最果タヒ初のエッセイ集が待望の文庫化!
心の中にめちゃくちゃ言葉が渦巻いてるんだろうなぁ、と最果さんの作品を読むと思う。文体なのか、息継ぎしてる?って思うほどのスピードがある。
例えば童話を読むときは、自然と「むかし あるところに おじいさんと おばあさんと 」みたいに休符を入れて読むんですが、最果さんの作品には休符がない。読点はきちんとあるのに、存在感がまったくなくて句点しかないイメージ。
宇多田ヒカルのこと
他人と接することは、結局人生と人生がすれ違っていくことでしかなくて、そこへは干渉はできないから、触れてきたすべてを自分の人生の一部として大切に保存していくしかない。
最果さんが初めて買ったアルバムは宇多田ヒカルで、宇多田ヒカル自身には興味はないけど、彼女の歌は人生の一部となった。それは”すれ違い”であった、歌の力がくれた奇跡なのだと言う。
この引用文のどこにも無駄なものがなくて、「それな!!」でしかない。恋人になって、あなたは私のものと言ったりするけれど、どこまでいっても交わることはなくて、ただ同じ場所を歩いたり、すれ違う頻度が多いだけ。
でもそれは悲しいことじゃなくて、この文の通り自分の人生の一部として大切にしていきたい。すごく共感した言葉。
共有するための言葉
感情はそれぞれ違うのに、言葉にすると単一的だ。「愛」とか「かなしい」とか「大嫌い」とか、そういうものでむりやり簡略化して、切り捨てたものがどちゃどちゃと、体よりアスファルトより下に落ちて積もっていっている。そしてそれ、病気じゃなくて自然なんだよ。
自分の言葉を探したり、伝えようとするより、わかりやすくて手っ取り早く共感できる言葉を使ってしまう。否定されるのも「?」って顔されるのも面倒だし、なんでもかんでも分かりやすくわかりやすく…でも、自分で簡略化した言葉の中身は自分以外誰も探そうなんてしない。
地中は、私たち自身で押し込めた感情で埋め尽くされている。
渋谷
街というのはそもそもが、人がふりつもってできた雪景色のようなものだと思っていて、古い人も新しい人も、おなじように街の形を作っていき、そして残っていく。景色が変わろうとも、その人たちがいなければその先もなかったわけで、だからこそ変容は歴史となっていくのだと思う。
最果さんの感性すごいなぁ、と思った言葉。原宿に行くといつも思ってた「あの頃の原宿」は溶けて消えてしまったんだ、とこの文を読んで納得してしまいました。
そして今の原宿もいつか溶けて消えて、また別の原宿になる。
あたしは「あの頃の原宿」は作っていて、「今の原宿」は景色として見てる。
自分の感じたことをこうやって言語化できる才能がうらやましい。
たとえそれが単一化された「好き」だろうが「エモい」だろうが、あなたの感じた心と吐き出された言葉は最高の芸術。