《内容》
「嫉妬」
別れた男が他の女と暮らすと知り、私はそのことしか考えられなくなる。どこに住むどんな女なのか、あらゆる手段を使って狂ったように特定しようとしたが……。盲執に取り憑かれた自己を冷徹に描く。
「事件」
1963年、中絶が違法だった時代のフランスで、妊娠してしまったものの、赤ん坊を堕ろして学業を続けたい大学生の苦悩と葛藤、闇で行われていた危険な堕胎の実態を克明に描く。
フランスの作家ってすぐ分かる。独特な言い回し、文体、空気、これがたまらなく好きな人もいれば鼻につく人もいるんだろうなぁ、と思いつつもっともっとフランス文学よみたいなぁと思うのでした。
嫉妬/事件
朝、目覚めてすぐにする動作は、睡眠の効果で勃起した彼のペニスをつかみ、まるで木の枝につかまっているかのように、そのままじっとしていることだった。私は思っていた。「これを握っているかぎり、この広い世界の中に放り込まれていても自分は大丈夫だ」。
「嫉妬」は六年間付き合ったWに別れを告げた私が、Wの恋人に嫉妬する心情を細部まで掘り下げた作品である。彼の些細な一言、なんともない行動の奥に彼女を見る。自分の行動も感動も全てWの彼女が間接的に決定を下す。現実を妄想が支配する”嫉妬”という感情。この作品を全く理解できない人なんていないんじゃないか、とさえ思う。大小はあれど、嫉妬は身近なものである。
若い女が妊娠しているのを知った瞬間と、もはやそうでなくなった瞬間とのあいだには省略がある。
「事件」の舞台は中絶が違法だった1963年のフランス。望まない妊娠をしてしまった大学生の私は何としても堕胎すると誓うが、中絶に協力した場合も逮捕されてしまうので堕胎する方法はどこを探しても見つからない。それとなく医者に相談しても面倒なことはごめんだとばかりに放り出されてしまう。
まさに事件である妊娠と堕胎を描く。
毎度のことながら、中絶は悪だから禁じられているのか、禁じられているから悪なのか、決定することはできないのだ。世間の人は法律に従って判断するのであって、法律を判断するのではない。
映画版↓
サガンといいアニーエルノーといい映画ピアニストといいバタイユといい、ものすっごい細部まで表現が行き届いている、という感じです。エロとかエンタメとかサービス精神とかじゃなくて、掘り下げて掘り下げて掘り下げた感じ。バタイユにも通じる。この細部にまで辿り着く胆力。何よりほしい。