深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

塩狩峠/三浦綾子〜人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない〜

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《内容》

誠の心、勇気、努力。

大勢の乗客の命を救うため、雪の塩狩峠で自らの命を犠牲にした若き鉄道員の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う。

結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。

 

 この物語の主人公は明治十年の二月に生まれているので、ものすごく古風なんですね。冒頭は古すぎて読むのが辛いなぁ、と思ってたんですが、名作と名高いこの作品をどうしても読みたくて頑張った先に(といっても20ページくらい)面白さが待っていた。

 

犠牲とほんとうの愛

 

 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 このヨハネ福音書のイエスのことばこそ、『塩狩峠』の主題聖句といってよいのであろう。この小説全体が、じつは、このイエスのことばの講解になっているといっても少しもおおげさないいかたではないと思う。もちろん、それは私自身の了解であって、作者の三浦さん自身がそういっているわけではない。

 

(解説より)

 

 主人公の信夫には母がいない。父と祖母の三人暮らしであった。祖母から母は自分を産んで数週間後に亡くなったと聞かされていたのだが、実は母は生きていて、父はひっそりと母と会い、妹まで作っていたのだった。

 

 その事実を知った祖母は急死。信夫は父から母と妹を紹介され、共に暮らすことになる。母がいなくなったのは母がキリスト教徒で祖母から追い出されたからなのだと知るのだが、信夫は自分よりも大事なものが信仰であり、そのために自分は捨てられたのだということを許せないでいた。

 

自分よりも大事なものが母にあるということが、信夫には納得できなかったのだ。

(子供を捨てて家を出て行く母がこの世にあるだろうか)

 そんなみじめな気持ちを、子供の時に知ったということは、わずかの年月ではとうていいやすことのできないものであった。信夫はほんとうに母が自分を愛しているということを知りたかったのだ。

 

 母という存在を知らずに生きてきた信夫にとって、女というのは不思議な生き物だった。思春期に入ると、性欲が信夫を悩ませる。

 

 よいことだと知りながら、それを実行するということは、何とむずかしいことなのだろう。したいと思うことをし、していけないと思うことをやめればそれでいいはずなのだ。ところがそうはいかない。全く君のいうとおり、人間て不自由なものだね。

 

 信夫は旧友の吉川に手紙で助けを求める。

 この物語はヤソ(キリスト教)嫌いの祖母にスポイルされた信夫が、その偏見を乗り越えて、善き人間、を追求する物語なのである。

 その追求のクライマックスが自己犠牲なのであった。三浦綾子作品のラストが死に繋がるのは、やはりキリストが死を持ってキリスト教を永遠にしたからなのだろうか?