≪内容≫
リスベットは人工知能研究の世界的権威バルデルの息子の命を救った。だが、そのときに取った行動が違法行為にあたるとされ、2カ月の懲役刑を受けた。彼女は最高の警備を誇る女子刑務所に収容されるが、そこではギャングの一員である囚人ベニートが、美貌の女囚ファリアに暴行を加えていた。見過ごすことのできない彼女は、囚人はおろか看守までも支配するベニートとの対決を決意する。さらにリスベットは、元後見人のパルムグレンとの面会で、“レジストリー"なる機関の存在に気づき、自らの子供時代に大きな秘密が潜んでいることを知った。ミカエルはリスベットから突然、レオ・マンヘイメルという人物の調査を依頼される。この男は何者なのか? そして、刑務所の外では、思いもよらぬ痛ましい殺人事件が起きた!
6巻は今年出る予定なのだそうです。
もしかしたら6巻で終わってしまうのか、続くのかは分からない。
5巻の事件模様
4巻でアウグストを守ったリスベットは誘拐の罪を着せられ刑務所に入った。その刑務所は命の危険があるものが収容される特別警護が可能な刑務所だった。しかし、外敵から守るための刑務所の中では受刑者が受刑者をリンチするという状況だった。
リスベットはただ黙ってやられているファリアと、暴君ベニート、そして見て見ぬフリをする監視のアルヴァルを静かに見つめ、この奇妙な私刑の謎を解く。
一方のミカエルはリスベットが刑務所に入れられたことに激怒していた。しかしリスベットの面会のときに、彼女からある男について調べてほしいと言われる。彼女の後見人でもあったパルムグレンから言われた一言が彼女の中の何かに触れたのだ。
彼女の背中に彫られたドラゴンのタトゥーの意味。そして、彼女とカミラの双子の姉妹の過去、そこに絡むのは双子についての悪魔的な研究だった・・・5巻は盛りだくさんの内容です。
作者が変わるということ
このミレニアムシリーズはかなり特別な勉強になると思う。
よく、作家なり小説なりには「文体」という言葉が出てくる。これは彼独自の文体だ、とか自分にしかない文体で、とか、とにかく作家における個性というものはどうやら「文体」らしい。
私はこの「文体」について正直よく分からなかった。村上龍があまりにも「。」を使わず「、」だけでどこまでも続く文章を書くこととか、村上春樹の「まるで~みたいに」の多さ、桜庭一樹の「どろぅり」とかいう独特の薄気味悪い表現、くらいしかピンとくるものがなく、作家の個性とは、どちらかというと、書き方というかキャラクターの作り方?というか、ユーモアみたいなパーソナルっぽいところを感じていた。
現に、私はサリンジャーとか中村文則も好きですが、彼らの文体と言われるとよく分からない。でも読めば何となくわかる。何か、サリンジャーはしつこいし、中村文則は「~なのだった」が多い気がするし、とりあえず二人ともなぜか全然笑えないところで笑わせようとしてるのか、天然なのか、そういう「???」という不思議感がある。私は愛を込めて「なんだこいつww」とか思いながら読んでいる。
んで、ミレニアムは爆発的ヒットしたくらい人気が出た作品(=キャラ立ちや世界観が非常に作り込まれていた)にも関わらず原作者の死去により、異なる人物がその世界を引き継ぐこととなった非常に稀な作品だと思われます。
あとがきで触れていますが、受け継いだラーゲルクランツも怖かったと言っています。まず、それでも続編を書いてくれたラーゲルクランツ氏は勇気があり、また人々のために誠心誠意を込めてくれた素晴らしい人だと思う。感謝しかない。
そしてもう一つ感謝したいのが、これが作家の個性というものなんだと私に分からせてくれたことです。
これはどちらがいいとか悪いとか言うのでは全くなくて、個性なんだとはっきり分かることができたのです。
正直なところ、読みやすいのはラーゲルクランツの方でした。なんというか、こちらが頭をこまねいて「するってーと?つまり?」とか考える必要もなく、絶対沈まない船に乗って景色を見たり、ワイン飲んだり、そういう優雅な感覚で気楽に読めた。
しかしラーソンの三部作は、「つまりどういうことだってばよ!?」「おい!このままじゃ船が沈んじまうぜ!どーすんだよ!」「オー!ジーザス!」などどこっちもアタフタして、なぜかミカエルたちと一緒の行動を起こしているような気になってしまうのでした。だから、ページをめくるのが遅くなるし、何度も振り返るw
ラーゲンクランツとラーソンが描く世界もキャラクターも一緒なのに、これだけ違う。その違いについて考えてみました。
ラーゲンクランツが描く世界では、事件>キャラクターという感じで、ラーソンはキャラクター>事件という風に思いました。事件解決のために彼らがいる、という前提と、彼らがいて事件が起こる、というのではまったく異なる道筋になるのだという風に私は感じました。
だから、ラーソンが描いてる方って事件を追いながらミカエルとエリカが寝たり、ミカエルとリスベットが寝たり、「おいおいお前ら寝てる場合かい!」とか思うくらい人間臭いというか、自分本位というか、「事件は解決するけど寂しいじゃん?なんか俺、君に惚れちゃった」みたいな何の特にもならんベッドインとかがあるんですが、ラーゲンクランツの方だと「情報を得るために酒付き合わなきゃ」とか「ここまで情報聞いといてポイじゃ悪いから寝とくか」みたいな、あくまで事件解決の一手になっている印象でした。
んで、まだうまく言葉にはできないんですが、そのやり方というか思考回路がモロに文章に出て、それを「文体」というんだろうなぁ、と思ったのです。たぶんうすうすそういう感覚はあったんですが、ミレニアムシリーズでずっしり府に落ちた感じでした。
ラーソンとチャンドラーってちょっと似てる気がするんですよね。どこかドラマチックというか、情熱的というか、男が女にやたらモテまくるとことか。