
≪内容≫
天涯孤独に生きてきた借金取りの男。男の母親だと名乗る謎の女。初めて母の愛を知った男を待つ、衝撃の真実…そして世界が言葉を失った、ある愛のカタチ。この愛は、本物か、偽物か。
韓国映画ってビンタ多くないですか?
この主人公は取り立て屋+ビンタされ屋なんじゃないかと思う。
あと、母との買い物が理想のデートすぎる。買いもしないメガネをかけること(買ってたけど)って悪魔で候の中で描かれていたぞ!
レストランで「あーん」とかしたりさ。風船ではしゃいだりさ。これが韓国の親子なのか!?家族主義の韓国ならではなのか!?
愛と金、金と死
借金を返せない奴は障害者にして保険金から払わせようとする極悪取り立て屋ガンドが主人公の本作。
ガンドは天涯孤独のため、ヤミ金の社長らしき人物に育てられた。債務者の懇願は一切聞かない冷酷無慈悲な理由は育ての親である社長への恩があったからだった。しかし、ある日母と名乗る謎の女・ミソンが現れてからガンドは少しずつ変わり始める。
たいがい「やめてくれー!」と言うのに、この債務者の男性は生まれてくる子供のために片手だけでなく両手を潰してくれという。
ガンドはそんな彼に「羨ましい」と言う。言われた男はきょとんとして「なぜだ?親なら当然だろう?」と本当に不思議そうな顔をするのだった。
拒否してもしつこく食い下がってくるミソンにガンドの心は揺れる。それまでは親の愛という無償で献身的な愛という存在を知らなかったから、役に立つこと(取り立て件数)でその愛を貰っていた。条件付きの愛である。しかし母と名乗るミソンの存在が、「親」という愛の形を嫌でもガンドに突きつけてくる。
今までバカだと見下し障害者になろうが死のうがおかまいなしだと思っていた債務者たちの方がその愛を持っていたのだ。金を回収するガンドは愛を知らず、金を回収される債務者たちは愛を持っている。
ガンドが今まで冷酷でいれたのは、その愛の背景が見えなかったからだ。だから見えてからはガンドの地獄が始まる。
母と名乗るミソンの目的は、ガンドの取り立てを苦に自殺した息子の復讐でした。愛を知らないガンドに愛を覚えさせ、信じさせてから奈落の底に突き落とす。
そのために憎くてしょうがないガンドに接近したのだけど、嘘の母を演じていると、ガンドがどれだけ寂しい人生を送って来たのかが肌で伝わってきて、心が揺らぐミソン。
ガンドの前で自分が死ぬことで大切な人が目の前で奪われる苦しみを味あわせてやろうと思ってたのに、自分がしようとしていることがどれだけガンドを傷付けるかと思うと胸が痛んでしまう。
ミソンの気持ちとぴったり符合するのがこの言葉。
女は可哀そうなもの、
独りでひそかに泣いているものを、
胎内にくるみ込んでやりたい本能がある。
それは女の無条件の優しさなのだ。
(岡本敏子)
まさにこの本能なのです。
憎しみは健在ながらも、一緒に生活していく内に彼が独りっきりで泣いている姿を、母親を探して泣く姿をみて抱きしめてあげたい本能が疼くのだった。
パッケージからも分かりますが、嘆きのピエタ=ミソンなんですよね。イエス(自分の子供)を抱きしめるマリアのように、復讐者であるガンドも抱きしめるマリア(ミソン)。その姿は何とも嘆かわしいですよね。復讐をしてすっきりザマァミロってなる筈だったのに悲しくてたまらない。
この映画ヒネリがないストレートなお話なだけにとても悲しいです。せめてガンドが心を開かず、ミソンが憎しみだけで突っ走ってくれたらこんなに悲しくはならなかった。
取り立てる家々には罵りあいながらも助けあう温かさがあった。対して何一つぬくもりを得られなかったガンド。
最後にミソンが自分の為に編んでいたと思っていたセーターを着た息子の死体を見てどう思っただろうか。それを剥いで自分が着ることでぬくもりは得られただろうか。そのセーターを着て死ぬことでミソンの子どもになれただろうか。
金 人生 死 とは なに?と書いたミソンの子ども。
この中に「愛」がないのは、考えることもないくらい愛に包まれていたからなんだろうな。ガンドなら金が愛に変わる気がする。お金がなくちゃ生きていけないけど、何のために生きるって守りたいもののためであって、大前提に愛がなければ金の価値は生まれないんじゃないかなって思った。
ずっと愛を知らないまま生きるのと、愛を知ることで死を選ぶのって究極だよな。
悲しすぎる。