≪内容≫
最後に会ってから七年。ある事件がきっかけで疎遠になっていた幼馴染みの冴木。彼から「お前に会っておきたい」と唐突に連絡が入った。しかしその直後、私の部屋で一人の女が死んでいるのが発見される。疑われる私。部屋から検出される指紋。それは「指名手配中の容疑者」である。冴木のものだと告げられ―。
映画んなってた・・・!衝撃
解説が本人じゃなかった・・・!
でも・・・なんか寂しい!!
だけどあとがきが2pもあって嬉しかった。
なんだかんだ作者の言葉を楽しみにしている私。いつも最後に「ありがとう」って書いてあって、いつも「ありがとう」って気持ちになります。
大人という支配者
これは色んな人に読んでもらいたいと思うけど、きっと読みたくない人が多いだろうなぁと思います。
ただ私はこの話を書いてくれた中村さんに感謝(?)のような気持が芽生えました。
この話は少年二人がホームレスに集団レイプされている女性を見たことから始まります。子供ながらに恐怖を感じ動けなくなっているところをホームレスに見つかり共犯にしようと胸に無理矢理手を押し付けられます。
なんとか二人は逃げだしますが、警察に通報することも女性を助けることもせず、女性は殺されてしまいます。
そのことが二人の大きな罪となっていくお話です。
集団レイプの話は「ふーん」で読める話じゃないし、どうしたって気分が悪くなります。なので他に思い当るのは「さよなら渓谷」くらいですが
本書は主人公が罪の意識に苛まれて、大人になっていく自分の身体や性への興味に拒否反応を起こします。
反対にもう一人の目撃者は、あの事件をきっかけに嫌がる相手を襲うことに興味を抱き始めます。
私がなぜ感謝のような気持ちを持ったのかというと、本書では集団レイプと死を結び付けて書いているからだと思います。
私も自分の気持ちながら明確にこうだ!というのは分からないのですが、レイプって死ななくても殺されるようなものだと思っています。
だからこそ、その被害者の叫び声や様子をきちんと被害者として描いてくれたこと。女という性別ではなくて、一人の弱者が強者に集団で壊されていく構図で描いてくれたこと。
そこには人間より獣感がありました。
そして、その後に主人公は延々と悩み続ける。自分は参加していなくても通報しなかった罪を、彼女の目には自分も仲間の一人と思われていただろうという思いを抱えて悩みがら生きる。
もう一人も、自分の性癖を知り苦しむ。
例え、直接的な加害者じゃなくても、その光景を見ただけでトラウマになってしまうようなことなんだと書いてくれたこと。
誰も書きたくないだろうことを書いてくれたこと。
彼らもまた大人という支配者に脅されたのだけれど、彼らと同じ男だった。
つまり、成長するということはあの日の男たちに近付くということだった。
きっと怖さから自分が支配する側に立とうというキャラクターにすることもできたと思う。だけどそういう描写がなかったこと。
弱いまま、守りたい気持ちをもったままの主人公がとてもうれしかった。
これ、ミレニアムが生まれたきっかけと似てますね。
犯罪者は殺してもいい?
ある日、あのホームレスが死にそうになっているところに出くわしました。
しかもホームレスはあの事件の録音テープを聞いてオナニーしている。
友人は言います。
「こいつは助けたらまた誰かを襲う。俺たちは手を下すわけじゃない。ただ何もしないだけだ。」と。
でも、どんな状態であれ、命ってのは厄介なんだ。
ずっとね、付きまとうんだよ。
強姦犯のホームレスの命でさえ、俺は割り切ろうとしてるんだけど、どうしても付きまとう。
だから、ずっと覚えていなければならないんだよ。
人間の命が、厄介だっていうことを
当時は憎くて汚くて死んで当然だと思って見殺しにした。
だけど、それは更に罪を増やしただけだった。
主人公は直接二人を殺したわけじゃない。二人とも見なかったことにしたのだ。そしてそのことが永遠に彼を苦しめることになる。
これは「これからの「正義」の話をしよう」にも出てきましたが、こういう状況になったとき、人は自分がその人間の命の値を決めていい人間 と思ってしまう。
だけど本当は命の値は誰にも決められない。
決めてしまえば、決めた人間が苦しむのだ。だから裁判の死刑判決は症例に基づいている。
彼はホームレスを死んでもいい命と見た。
だけど、ホームレスと同じ性癖を持つ親友には死んでほしくなかった。
ホームレスの命と、親友の命。
親友も生きていればまた誰かを襲うかもしれない。
それでも生きていてほしいと願う誰かがいる。
自由とはなにか?
私は、冴木に死んで欲しくなかった。
彼がこれから誰を襲おうと、その後、どうなろうと、私は彼に死んで欲しくなかった。私は自分の考えの理不尽さを思ったが、そうとしか思えなかった。彼が、我慢すればよかった。だが、本当にそうだろうか。我慢し続けるよりも、もう嫌になって死んだ彼の選択を、どう処理すればいいのか分からなかった。
(中略)
人生を使うのは、その個人の中において、彼の自由だった。彼がこの世界についてどう思おうと、どのように死のうと、それは、自由であるべきだった。
私が彼に死んで欲しくなかったとしても、私は、あのような彼に何ができただろうか。
だけど彼の求めた自由は、この世界では認められない。
主人公に出来ることは何もない。
確か「ニンフォマニアック」で出てきた言葉だけど、世の中のロリコンほど誠実に生きている人間はいないと言っていた。
彼らは性の対象が絶対に許されない子供ゆえに自分を厳しく律している、と。
世の中の許されない行為にしか快楽を得られない人間は死ぬしかないのだろうか。
結果として、冴木は死ぬしかないと思って自死しました。
自由って、あくまでも決められた自由なんですよね。
道徳やモラルによる自由。
そこから根本的に外れてしまっている人間は生きることはできないのか。
あとがきで著者が
(前略)
単純な善悪の二元論ですっきりと切り捨てることをしない、つまり文学を愛してくれている全ての人達に対して、書いたつもりではある。
と書いていますが、世の中ほんとうに善悪ですぱっといけないものですよね。
助けたくても、それが助けになるとは限らない。
本書の最後は親友を失った主人公がもう一人のマイノリティである香里を守ろうという流れで終わっています。(私にはそう思えた)
冴木に関しては距離を置いて「保留」にしてしまった主人公。
もしも保留にせずに向き合っていたら、何か違う道があったんじゃないかと思ったのではないでしょうか。
香里に関しても謎がたくさんで真実は分かりません。
だけど、もう「保留」にすることはやめて、わからないながらも一緒に歩んでいこうと決めたんじゃないかなと思えました。
一般的に幸せそうにみえるライトの中では、誰もその中の人がおかしいだなんて思わないだろうから。
最後の「一人で狂うのは嫌だろう?」という場面がすごく・・・好きです。
一緒に狂ってしまえる人がいたら、それは通俗的な灯りより輝くと思う。