深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】LAMB〜誰も知らない世界の片隅でも裁きは下る〜

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《内容》

山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。
ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。
子供を亡くしていた二人は、”アダ”と名付けその存在を育てることにする。
奇跡がもたらした”アダ”との家族生活は大きな幸せをもたらすのだが、やがて彼らを破滅へと導いていく—。

 

パケ写が不気味すぎてもう観るしかないよね

そしてこの女優さん、ミレニアムのノオミ・ラパスさんじゃないか。

ミレニアム①ドラゴン・タトゥーの女の記事を読む。

 

北欧映画は土地柄なのか閉鎖的な話が多く、静かで凶悪なので大好きです。

 

罪深き人間

 パッケージから分かるように、主人公のマリア(ノオミ・ラパス)羊を自分の子供として育てるお話です。

 アイスランドの雄大な自然の中で夫婦が農業をして暮らしている。傍らには山羊舎があり、夫婦は山羊の出産を手伝っている。

 

 冒頭はアイスランドのクリスマスを告げる放送の中で、何かを見つめる山羊たちが映る。我先にと小さな出口から飛び出す山羊たちの中、一匹の横たわった山羊がクローズアップされる。

 

 マリアたちはその山羊の出産に立ち会い自分たちが求めていたものに出会うのだ。

 

 顔は羊だが、半身は人間の手と足をもっている。失った最愛の娘・アダの代わりにその羊をアダとして育て始める夫婦。我が子を奪われた羊は、山羊舎にマリアがやってくるたびにメ”ェエエエエエ!と叫ぶ。我が子を返して!と訴えているかのように。

 

 そのうち母山羊は山羊舎を出て、我が子のいるマリアの家にやってきて絶えず鳴きつづける。アダを奪われたくないマリアは母山羊を撃ち殺し土に埋める。

 そうやって自分が無くしたものを他者から奪い幸せを感じていたマリア。

 

 だが、アダは自分を可愛がってくれる男女と自分が似ていないことを知る。牧羊犬に何かを感じたり、羊の写真に懐かしさを感じる。

 

 どこかが狂いながらそれでも幸せを作ろうとする奇妙な雰囲気の中、ラストはアダの本当の父親が母親が殺された方法と同じやり方で父親を撃ち殺す。

 

 アダの羊の手を掴む父親だが、その手は離れてしまう。だが、父親の目は連れ去られていくアダの目を見たり逸らしたりして安定しない。諦めや困惑、さらには「これでよかったのだ」という解放感も映している。

 

 これが本当のアダであれば最後まで目をかっぴらいて連れ去られていく娘に手を伸ばし続けるだろう。

 

 一方、二人がいないことに気付いたマリアは血を流し倒れている夫を見つけ

「大丈夫よ、アダはどこ?」と話しかける。その後、娘も夫も亡くし一人になったマリアは夢から醒めたように息を吐き物語は終わる。

 

 他者から奪うという罪とともに、最愛の子供を二度失う悲しみと夫を亡くす悲しみに襲われるマリア。

 月並みな感想だけど、自分で造り上げたものではなく他人から奪った幸せには必ず報復がつきまとう。

 

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 この羊の子・アダが可愛い。グレムリン的な可愛さがある。でのその愛も人間のエゴで自分勝手なものなんですよね。もしもアダがこのまま家にいて、羊人間のように人間よりはるかに巨大で人間よりもおおきな力を持ったとき、夫婦はアダを愛し続けるだろうか?と思うと射殺するんじゃないかな、と思う。でもこれがデルトロ監督の作品だったら愛するんだろうな…と思いながら見ていました。